「あっ」
ドアノブに手をかけて、はぴたりと動きを止めた。石に気を取られ、鍵を開け忘れていることに気付いたのだ。ドアノブから手を離し、通学鞄の中に入っている鍵を取り出そうと鞄を開いた。落とさないようにと内側のポケットの中に入れてあるのだが、ファスナー部分に触れる寸前で手を止めた。
何が起こるかわからない――。あの占い師の言葉が頭の中で響く。いまだ手に持っている石を見て、の中にある考えが浮かんだ。
――何が起こるかわからない。でも、それはいろんな可能性を秘めてるってことだよね?ってことは…。
「鍵、開いたりとかしないかな?」
もしこれでドアが開けば、石が持つ力は確かに証明され、何よりも、何が起きるかわからない不安に悩まされなくても良くなるのだ。正臣にはがっかりされるかもしれないが、不安が続くよりはマシだとは思った。
胸を高鳴らせて、再度ドアノブに手をかけた。おそるおそる、ゆっくりとドアノブを引く。鍵が掛かっていれば、ある程度のところでドアノブを引くことが出来なくなるのだが――。
――開いた!
がちゃりと音を立てて、扉は開いた。だが、同時に食欲をそそる美味しそうな匂いがする。
「…ん?」
誰かがいなければ、このような匂いはするはずがない。そして、その『誰か』と言うのはこの家ではを除けば一人しかいない。扉を少しだけ開いたまま、は玄関を確認する。そこには、の靴ではない男性用の、それも仕事の時に履く靴が揃えて置かれていた。
――ってことは、石の力で鍵が開いたとかじゃなくて…。
「おかえり…って、。そんなところで何してんだ?」
――お兄ちゃんが帰ってきてたんだ…!
リビングから姿を現したのは、腰にエプロンを巻きつけ、腕まくりをしている静雄。
「え、えーっと…お兄ちゃんがこの時間帯に帰って来てるのって珍しいなぁって思って」
「あー、仕事が早く片付いたんだよ」
石の力では無かったと言うことは、に取って確かに残念なことなのだが、それ以上に静雄が早く帰ってきていることの嬉しさの方が勝っていた。
扉を閉め、玄関で靴を脱いだ。急いで静雄の元へ行き、二人でリビングに入る。
「今日はお兄ちゃんがご飯作ってくれるの?」
「たまにはな」
「お兄ちゃんが作ったご飯食べるの久々だね。楽しみ!」
が少し飛び跳ねたとき、手に持っていた石が小さな音を立てて床に落ちる。その音に反応して、静雄は床に目を向け、落ちている石を手に取った。
「…何だこれ?」
「もらったの。最近池袋で噂になってる占い師さんに」
「ふーん…?」
さして興味が湧かなかったのか、首を傾げながら石をに返し、静雄はキッチンに立つ。軽快な包丁のリズムに、は少しだけ顔を綻ばせた。
池袋で静雄のことを知らない人間はいないだろう。だが、こうして静雄がキッチンに立って料理を作る姿を知っている人間もいないだろう。だからこそ、は嬉しくなったのだ。自分だけが知っている静雄の姿。気分が高まり、鼻歌交じりで食卓の用意をする。
「何か良い事でもあったのか?」
「え?何で?」
「いや、すっげぇ気分良さそうにしてるからさ」
――お兄ちゃんが早く帰って来てくれて、しかも私のためにご飯を作ってくれてるのが嬉しいからなんて恥ずかしすぎて言えない。
「あ、あはは…そんなにわかりやすい?」
「まぁわかりやすいな。――ほら、出来たぞ」
は盛り付けを手伝い、二人は向かい合って座った。いただきます、と両手を合わせ、静雄の料理に手を付ける。
「ん、おいしい!」
「そうか。なら良かった」
「また作ってくれる?」
「仕事が早く終わる日があればな」
「楽しみにしてるね!…あ、そうだ」
はポケットから石を取り出して机の上に置いた。
「これ、何が起きるかわからない石なんだって」
の言葉に、静雄は箸を置いて石を手に取った。どこにでもありそうな乳白色の石だ。淡く光り続けていることを除けばの話だが。
静雄の手のひらで転がる石。暗闇の中でこの石を見れば、さぞかし綺麗なのだろうと思う。
「もしお兄ちゃんがその石を持ってたとして…何が起きてほしい?」
「そういうお前はどうなんだ?」
「んー…お金持ちになるとか?あ、でもそれだったら超能力者になりたいなー!」
「明日の朝、スプーン曲げれるか試すのもいいかもな」
そう言って静雄は笑った。つられても笑う。そのとき、静雄が小さく声を上げた。まるで、何かを思い出したかのように。
が首を傾げると、静雄は仕事帰りに遊馬崎と狩沢に会ったことを話しだした。
「いや、さっきの超能力とかで思い出したんだけどさ、何だっけな…遊馬崎達がタイムリープしてぇとかって言ってたんだよな」
「タイムリープ?」
「時空間移動とか言ってたけどな。ま、よくわからねぇよな、あいつらの会話は」
「ふーん…時空間移動かぁ…」
「だから、その石でお前も時空間移動とか出来ると面白いな。あいつらに自慢してやれよ」
――自慢すると、きっと羨ましがるんだろうなぁ。
羨ましがる二人が安易に想像でき、は小さく笑みを零した。
自身は時空間移動と言うものがよくわからないのだが、少し昔のハリウッド映画でもあったように、過去に行ってしまったり、未来に行ってしまったりすることなのだろうと考えていた。
確かに魅力的だとは思った。人間は時の歩みを戻したり、早く進めたりすることが出来ないからだ。
「そうだ。ねぇお兄ちゃん。もしタイムリープ出来るとしたら、お兄ちゃんはどこに行きたい?」
「考えたこと無かったな。けど、そうだな…高校時代だな。ノミ蟲ぶっ殺す」
ノミ蟲――臨也のことかとは苦笑を浮かべた。
「お前は?どこに行きてぇんだよ」
「うーん…。あ、お兄ちゃんの高校時代かな。ほら、お兄ちゃんと私って歳が離れてるでしょ?一度でいいから同い年気分って言うのを味わってみたいなーって。制服着て遊びに行くとか」
「何だそれ」
再びリビングに笑い声が響き渡る。こうして二人の時間は過ぎて行った――。
夕飯の後片付けをし、明日の準備をしては部屋に入った。ベッドに腰掛け、石を枕元に置く。電気を消すと、暗闇に淡い光だけが存在した。
「こうして見ると、すっごい綺麗だよね」
だが、何が起きるかわからないのだ。それさえ無ければ、手元にあることに不安を感じないのにとは思った。
ベッドに寝転び、目を瞑る。しばらくしてやってくる心地良い感覚。あと少しで夢の世界に足を踏み入れるところだったのだが、強烈な光を感じて目を開けた。
「な、何?」
その光の正体は、先程まで淡く光っていた石だ。光は勢いを増し、の視界を真っ白にする。
「眩しい…!」
身体が光に包まれ、は眩しさから目を瞑った――。
「――あれ?」
気がつけば、は制服を着て占い師がテントを立てていた、露西亜寿司の近くに立っていた。手には光を失った、ただの乳白色の石。
そして、何故か外が明るい。周りを見渡すと、通学途中の学生、通勤途中のサラリーマンの姿。
「朝…?」
――今日の朝に、時間を巻き戻したってこと?それとも、今日の朝に私が戻ったの?
もしかして、これがタイムリープなのではないかとは少し胸を高鳴らせた。しかし、不思議なことにの手荷物は石だけだ。いつもの通学鞄が無い。今日の朝に戻っているのなら、通学鞄だってあってもいいだろうにと、は仕方なく学校へと歩き出す。
歩いて行くうちに、何か奇妙な感覚がの中に生まれ始めていた。――何かがおかしいのだ。何がおかしいのかは自身わからないのだが、とにかくおかしい。
「何だろう、何がおかしいんだろう…。歩いてる場所はいつもと変わりないのに」
――嘘。本当に変わりない?
はぴたりと歩みを止めた。いつもと変わりない場所。だが、本当にそうなのだろうか。
「――雰囲気。そうだ、雰囲気が違うんだ!」
謎が解け、は再び歩き出す。その間も、雰囲気の違いについて考えていた。
雰囲気が違うと感じるのは、今日の朝にタイムリープしたからだろうか。そうだとしても、それだけでは無いような気がするとは思っていた。
――私、何か勘違いしてるのかな?
学校の校門が見えてくる。は足を止めた。やはり微妙に何かが違うのだ。
どうなっているのかと視線を彷徨わせていると、学校名が彫られている部分に目が行った。
「来神学園……ん?」
口に出して気付く違和感。
来神学園は、来良学園の前の学校名ではなかったか――?
「私が通ってるのは、来良学園だよね?え?何で来神…。学校名、元に戻したとか?」
そんなわけがないとは心中で自分につっこみを入れ、しばし呆然と立っていると後ろから来ていた人物にぶつかってしまった。その衝撃でようやく我に帰り、は急いで謝った。
「す、すみません!」
謝りながら振り向くと、そこに立っていたのは学ランを着た、の良く知る人物。その人物に、は再び目を丸くした。
「あー、気にすんな。俺も前方不注意だった」
――門田、さん!?
学ランを着た門田は、そのまま校門をくぐって校舎へと向かって行った。後姿を目で追ったあと、は来良学園、いや、来神学園から離れるように後ずさりしていく。
そして、自分自身に起こったことを漸く理解した。今日の朝に戻ったわけではない。
静雄達が高校に通っていた時代に戻ってしまったのだと――。
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