――愛してる。


「……え?」


 ――愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。


 傷口から聴こえてくるのは、『愛の言葉』だった。
 しかし、それはそんな生易しいものではない。寧ろ、永遠に続く呪いの言葉と言う表現がしっくりと来る。
 愛してる、愛してる、愛してる――。止む事を知らない『愛の言葉』は、聴いているだけで頭が狂いそうになる程で、とても苦しかった。
 だが、耳を塞ごうにも、手が動かない。誰かに助けを求めようにも、声が出ない。ゆっくりと、それでいて確実に、その『愛の言葉』は嫌でも身体に染み渡っていくのがわかる。


 ――大丈夫、怖がる事なんて何一つ無いわ。だって、私が愛してあげるのだから。あぁ、愛してるわ。私は人間を愛してる!


 終わりの無い『愛の言葉』に涙が零れ、やがて意識は深い深い暗闇に閉じ込められてしまう。


「……さぁ、一緒に愛しましょう」


 自然と口元が歪んだ。胸の内に湧き上がる興奮を抑え、ゆっくりと立ち上がる。
 どくどくと流れる血。地面には赤い水たまりが出来るが、どうでもよかった。周りがその光景を見て悲鳴を上げていても、耳を傾ける必要など無い。
 何故なら、愛する人物はここにいないから。


 ――私と一緒に、他の姉妹と一緒に、母さんと一緒に、あの人を。


「平和島静雄を、愛してあげないと」


 ――血も、肉も、骨も。そして、貴方の持つ力も。貴方の全てを愛してあげる。


 妖しく光る目。その目は、南池袋公園のある方へと向けられていた。




 ――時は数日前に遡る。


「また池袋で斬り裂き魔が出たんだって」

「だから朝から警官が立ってたんだ」

「早く捕まってほしいよ、まったく。これだと夜どこにも出れねぇじゃん?」

「あ、こいつ! 最低だな!」


 いつものようにが通学路を歩いていると、朝から学生達が『斬り裂き魔』について盛り上がっていた。


 ――そういえば、今日の朝のニュースでやってたなぁ。斬り裂き魔の事。


 最近、池袋では連続通り魔事件が多発している。犯人は未だ捕まっていない。
 一時は『首無しライダーが関わっているのでは』と言う話が出た。今もそれは討論が続いているようだが、は無意味だと思っていた。
 何故なら、首無しライダーと呼ばれている都市伝説とは友人関係にあり、そのような事は絶対にしないとわかっているからだ。


 ――セルティが池袋連続通り魔事件の犯人だなんてありえないよ。


「……早く犯人が捕まればいいのに」


 はぁ、とため息をつくと、白い息が出た。


「……早く犯人が捕まればいいのに」


 本日二回目の言葉を口に出したとき、後ろから勢いよく抱きつかれた。


「ため息なんかついちゃってどうしたよ? いや、でもアンニュイなもそそられるな」

「ま、正臣君」

「ってなわけで、はよーっす!」

「も、ま、待ってよ正臣……! そうやって走って行って……あ、さん、おはよう!」

「おはようございます、さん」

「あ、えっと、おはよう、竜ヶ峰君、正臣君、杏里ちゃん」


 帝人と杏里が来たのを確認すると、正臣はから離れた。そして、いつものようにの肩に腕を回す。正臣との距離の近さにはもう慣れた。こうして歩く事にも。


「ところで、さっき何か言ってただろ。『犯人が捕まればいいのに』ってよ。ま、確かに最近この街は物騒だからなー。夜も迂闊に出歩けねぇし」

「そう、ですね」

「あぁ、でも杏里とは大丈夫だぜ。何たってこの俺が二人を守ってやるからな!」

「またそんな事言って。……でも、本当に最近この街は物騒だから、園原さんもさんも気をつけてね」


 靴箱で靴を履き替え、正臣と別れる。教室に入り、それぞれの席に着くとちょうど授業開始のチャイムが鳴った。
 教科書を出し、指定されたページを開く。黒板に書かれている文字やグラフを写しつつ、はぼんやりと窓の外の薄暗い冬の寒空を見た。


 ――犯人が捕まればどうにかなるって問題じゃないかもしれないけど。


 こつん、とシャープペンシルで消しゴムをつついた。


 ――セルティとのチャットに出てくる罪歌って人、ちょうど池袋連続通り魔事件が騒ぎになりだした頃から来るようになったんだよね。


 セルティが管理人を務める二人だけのチャットに、『罪歌』と名乗る人物がたまに現れるようになったのだ。それも、意味がわからない言葉だけを一方的に書き込んで退室すると言う、俗に言う荒らし行為を働く。
 どうやらセルティが参加している別のチャットルームにも現れる事があるらしく、意味がわからない書き込みをしてはいなくなる『罪歌』に参加者が悩んでいるとの事だった。


 ――早く平和なチャットに戻りたいなぁ……。


 にとって、セルティとのチャットは離れて住んでいる姉との会話のようなもの。今は『罪歌』の存在に怯え、あまり会話が出来ないのだ。


、これを答えてみろ」

「あ、は、はい」


 ――罪歌って……何だろう。


「x=√3です」


 ――しばらくはチャットに入らない方がいいのかな。


 答え終わった後、は再び窓の外に視線を戻した。




「遅いね、園原さんと正臣」

「そうだねー……何かあったのかな?」

「まさか! あ、でも正臣が何か仕出かしてる可能性はあるかもしれないね……」


 特に用事も無かった帝人とは校門前で杏里と正臣を待っていた。もうすぐ期末考査が実施されると言う事もあり、学校に残っている生徒達の姿は少なかった。


「そういえば、今日一日中上の空だったけど大丈夫?」

「え? あ、えっと、うん、大丈夫。ちょっと考え事してて」

「そっか。僕でよかったら話とか聴くし、気軽に話してね」

「……うん、ありがとう」


 帝人の席はの後ろ。終始窓の外を見ていたの様子は丸見えだった。


 ――話したいけど……どうやって話を切り出せばいいんだろう。


 その術を考えている最中、校舎がある後ろから聞き覚えのある声が聴こえて来た。――正臣だ。
 帝人とは後ろを振り向く。どうやら正臣の隣にいた杏里はこちらに気付いていたようで、すぐに目が合った。


「正臣! 園原さん!」


 手を振ると、正臣はぶんぶんと大きく振って返した。隣にいる杏里は何故か少し頬を赤く染めている。


「あれ、杏里ちゃんどうしたの? 顔赤いよ?」

「あ、いえ、何でもないんです」


 いつものメンバーで帰り道を歩く。急に始まった正臣の昔話や、本当かどうかわからない武勇伝。正臣の隣にいる帝人はつっこみきれないとの表情を浮かべながらも、楽しそうに笑って話していた。の隣にいる杏里もところどころでくすりと小さな笑みを零している。
 この四人でいると楽しい――。正臣の話を聴きつつ、はそう思った。


「でもな……マジで気ぃつけた方がいいぜ、杏里」

「?」

「何かあったの、杏里ちゃん」

「や、実はさ、杏里が那須島の野郎に目ぇつけられてるっぽいんだよね」

「……那須島、先生?」


 は那須島に関わった事があまり無い。と言うよりも、関わる事があまり無い。首を傾げていると、正臣はぴたりと歩みを止め、杏里との方を振り返った。


「噂は大半が噂だけど、教え子に手ぇ出してたってのはマジだから」


 その言葉に、と杏里は息を呑んだ。


「贄川春奈って、二年の先輩でさー。二学期の中ごろに転校したんだけどよ、それがどうも、那須島と付き合ってるのがバレそうになったからなんだってよ。露見させたくなかった学校が転校させたのか、那須島が脅したのか、それとも贄川先輩自が自分から転校してったのかは解らないけどな」

「そんな事が……あったんだ……。わ、私でよければ力になるよ!」

「ま、気を付けろよ。なんかあったらマジで俺と帝人でなんとかすっから。なあ帝人!」


 余所見をしていた帝人は突然話を振られ、びくりと肩を揺らして驚いた。


「? なんの話かよく解らないけど、僕にできる事ならなんでもするよ」

「チッチッチ。馬鹿だな帝人は本当に。こういう時は『僕にできない事だろうが愛の力でやってみせるよ』、ぐらいの事を言ってのけなきゃ男じゃあねーぜ」

「矛盾じゃん」

「言われてみれば、確かに矛盾してるね」


 矛盾を指摘された正臣は、シュレーディンガーの猫をシュレーディンガーの帝人として置き換えて話し始める。だが、その話もどこかおかしく、杏里とは小さくふきだした。


「……ありがとう」


 お礼を言う杏里に三人は微笑み、別れる。
 マンションへと向かって歩いていると、ぞわりとした感覚がを襲った。後ろを振り向くが、何も無い。見えるのは、ビルの隙間から見える夕暮れの空。


「……ん?」


 ――何だろ。


 特に気にする事なく、再びは歩き出す。今日の夕食は何にしようか。静雄は今日帰りが遅いと言っていた。ならば、温めればすぐに食べれる物にしよう。そんな他愛のない事を考えながら。
 が夕食の準備をし始める頃には日は暮れ、空には星が浮かび上がった。
 そんな綺麗な夜空の下で、池袋連続通り魔事件はとうとうの身近なところまで近づいてきていた。







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