「――だから、園原杏里ちゃんじゃないって言ってるのに」
呆れたように言葉を吐き出しつつも、臨也の表情は至極楽しそうだった。
パソコンのディスプレイに映し出されているチャットルームには、いつも参加している『田中太郎』ことダラーズの創始者である竜ヶ峰帝人と、『セットン』ことデュラハンの妖精であるセルティ・ストゥルルソンはいない。いるのは『甘楽』と名乗っている臨也だけだ。
すると、誰かがチャットルームに入って来た。その人物の名前を見て、臨也は『またか』と思った。他の池袋関連の掲示板も荒らしている人物で、自らを『罪歌』と名乗っている。
「アク禁、っと」
昨日も荒らしに来ていた『罪歌』をアクセス禁止にする。またすぐに別の所からアクセスしてくるだろうと、その場しのぎだと言う事は重々承知しているが、何もやらないよりは良い。
臨也自身もチャットルームを退出し、別の画面に切り替える。表示されているのは地図のようなもので、その地図に表示されている赤い点が動いていた。
「……何ニヤついているの。気持ち悪いわよ」
「君の歪んだ愛よりはマシだと思うけど?」
――こいつにだけは言われたくないわね。
自分の愛が歪んでいて気持ち悪いと言うのなら、臨也の人間に対しての愛はどうなのだと波江は心中で毒づいた。
「こんな遅い時間に出歩いちゃ駄目だ。……そう思わない?」
「何が言いたいかわからないけど、誠二にならそう思うわ。私の誠二が斬り裂き魔に斬られるなんて事、許されないもの」
「奇遇だねぇ。俺も同じ事を考えていたんだ」
「どうせ『人間』に対してでしょ? どこが同じなのよ。貴方と私の誠二への愛を一緒にしないで」
臨也は愛おしい者を愛撫するように、ディスプレイを撫でた。撫でた個所にはちょうど赤い点がある。
その様子を見ていた波江は、臨也の秘書を始めてから気になっていた事があった事を思い出した。すぐに訊きたい事でもなかった為今まで訊かなかったのだが、訊くのなら今が良い機会なのかもしれないと、仕事をこなしつつ臨也に訊いてみる事にした。
「誰か『特別な人間』でもいるのかしら?」
「へぇ、波江さんが俺に対して興味を抱くとは思わなかったよ」
「興味なんてあるわけないわ。私の興味対象は誠二しかいないわ。
……そうやってディスプレイを眺めて気持ち悪い笑みを浮かばせたり、携帯のディスプレイを眺めて気持ち悪い笑みを浮かばせたり……目の前で毎回やられると興味は無くとも気にはなるわ」
気持ち悪い笑みと言われた事に心外だと思いつつも、表面上に出過ぎている事を知った臨也は、そんな単純な自分自身にため息が出た。
「俺は人間を愛してるよ」
「それは知ってるわ」
「だから人間も俺を愛すべきだと思ってる」
「それも知ってるわ。……人間は貴方の事を嫌ってるけれどね」
「だけど、そんな人間の中に『化け物』を愛してる人間がいるんだ」
臨也が言う『化け物』とは平和島静雄の事だ。彼は静雄の事だけは『人間』と認めたくないらしい。
「俺を愛せば、俺はその子にたくさんの愛を注いであげるのにさ、その子は『化け物』を愛してるんだよ。……ムカつくと思わない?」
「結局は何が言いたいのよ?」
くるりと椅子を回転させ、波江に背を向けて立つ臨也。ブラインドの隙間を指で広げ、暗闇が広がる外を見る。斬り裂き魔が池袋に現れてからは、遅い時間帯に出歩く人間の数は減った。それは新宿にも影響が及び、臨也が見る限りでは今この付近を歩いている人間はいない。
「どうすれば俺を愛するようになるか……それが気になって観察していく内に、一日中観察するのが日課になってしまったんだよねぇ」
――ただのストーカーじゃない。あの女と一緒だわ。
そう思った瞬間、臨也が波江の方を振り向いた。心の声が聞こえたのかと、びくりと肩を揺らす。
「あぁ、調べたよ? 君の弟君を徹底的に調べた張間美香のようにね。過去も調べたさ。出生とかシズちゃんと出会うまで何をしてたかとかね。……でも」
「でも?」
「見つからなかった。この俺の、情報屋としてのあらゆる手段を用いても、見つからなかった」
――誰かに消されてるような気がしたって言うのは黙っておくけど。
臨也が執拗に気にし、あらゆす手段を用いても過去のデータが見つからない人間。一体どんな人間なのかと気にしている波江に、臨也は携帯電話のデータフォルダを漁り、画像を表示させる。それを波江に見せようとデスクを離れた。画像まであるのかと呆れたが、波江自身、携帯電話の待ち受けを誠二の写真にしているので何も言えない。
何かと見つかる臨也との共通点に、やはり先程の波江の愛は歪んでいると言った臨也の言葉は、彼自身にも言えることだとため息をついた。
「この子だよ」
誠二と同じ来良学園の制服を身に付ける少女。
おとなしそうな顔立ち。まだ幼さが見え隠れするような、そんな印象を抱いた。だが――。
――どこかで、見た事あるわね。
「名前は、。波江さんの弟君と同じクラスの子だよ」
――、……?
『波江、あの子が――――――――――だよ』
――思い、出した。
一気に顔が青ざめる。背筋が異様に寒い。思い出すだけで、そのときに味わった恐怖が蘇った。何故彼女を見てすぐに思い出さなかったのか。それは、記憶の奥底に封印していたからだ。――怖くて、怖くて、仕方が無かった記憶を。
表情が変わった波江に、臨也は眉間に皺を寄せた。
――ダラーズの集会ではちゃんの事は見せてないし、今までも見せた事はない。もしかして……。
「知り合い?」
その言葉に、波江は大きく肩を震わせた。知り合いかどうかまではわからないが、の事は知っている様子だ。
しかし、知っているにしては波江の様子がおかしい。何かに怯えているような波江を見るのは、初めてと言っても過言では無い。
「……ねぇ、知り合い?」
「し……知り合い、では無いわ」
「じゃあ何」
「過去に……一度だけ、彼女を見た事があるだけよ」
「どこで?」
「伯父の知り合いの研究所みたいな所……だと思うけれど」
――研究所? それにしても……。
これは意外なところからの過去が出てきたと臨也は口元を歪めた。
「いやぁ、びっくりだなぁ。まさか波江さんがちゃんを見た事があるなんてねぇ」
「偶然よ。……その子、普通に暮らしてるの?」
「何それ。まぁたまに何か誰かと遊んでるみたいだけど、それ以外は普通だよ。両親が早くに亡くなって、幼い頃から平和島家で育てられてるからかなぁ、基本的には真面目で人に優しい」
「そう」
誰かと遊んでいる。波江には予想がついた。
――連れ戻そうとしてるのかもね。まぁ、それに関しては気付いてないみたいだけど。
話を無理矢理切り上げて背を向ける波江に、言い忘れていたと臨也は手を叩いた。
「ちゃん、記憶が無いんだ」
6歳以前の記憶が無いと言う話は、本人から聞いていた。その話をすると、いつもの表情に戻った波江が振り向いた。
「能ある鷹は爪を隠すわ」
「……だから?」
「無くなっている記憶の中に、爪が隠されているかもしれないわよ」
その隠された爪の片鱗をうかがわせる部分は、すでに発揮されていた。
「あぁもう! ……すんなり家に帰らせてよ」
気絶している男に何を言っても返ってこない事などわかっているが、言わずにはいられなかった。
杏里が斬り裂き魔の現場にいたと言う連絡を帝人から受け、は警察に向かった。杏里自身に怪我は無かったが、目の前で来良学園の生徒が斬り裂き魔の被害に遭ったらしい。今その生徒は病院に運ばれたそうだが、容体は教えて貰えなかった。
「杏里が無事なのは嬉しいけどさ、素直に喜べないのが辛いな」
と同じように帝人から連絡を受けた正臣はぽつりと呟いた。被害に遭ったのは、四人が通う来良学園の女子生徒数人。杏里が被害に遭わなかったのは、不幸中の幸いと言うものなのかもしれない。
三人は杏里の無事を確かめた後、夜遅いからとパトカーでそれぞれ家に送ってもらった。そして、パトカーから降りてすぐ、はいつものように襲われた。もちろん伸したが、良い気分では無い。
「……斬り裂き魔、か」
倒れている男数人は、刃物と言うよりは銃器を持っている事が多い。落ちている銃器を拾って分解し、仰向けに倒れている男の上に落とした。
「いつもの人達では無いと思うけど、性質が悪いよ」
――人を斬り付けて、一体何が目的なんだろう。
携帯電話が震える。静雄から電話が掛かって来ていた。
「も、もしもし」
『今何処だ? まだ警察か?』
「ううん、もうすぐ家だよ」
『いつもの道通ってんのか?』
「うん、あの自販機の所だよ」
『そうか。……なら、俺も今から向かうわ』
危ないからと、静雄はに通話しながら歩くように指示した。携帯電話を片手に歩くの後姿を、赤い瞳の男が見ていた。
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