「――ッ!」
後方から飛んできた黒い影に、誠二は身体を打ち据える。それは隙を窺っていたセルティが打ち据えたものなのだが、誠二がメスを落とす様子は見受けられない。
――メスを落とすつもりで当てたのに……!
セルティは驚きを隠せなかった。強い痛みを伴っているはずなのだ。それなのに、誠二は毅然としている。
「俺の愛は、この程度じゃ砕けない」
今度はが仕掛ける。相手が少し変わっているとしても一般人であることに変わりは無い。普段相手にしている者達とは違うのだと言うことを頭に入れて、はセルティが打ち据えた部分に蹴りを入れる。
しかし、それでも誠二がメスを落とす事は無かった。間髪入れずにメスを振り下ろし、はそれを避けるために後ろに飛んだ。
「言っただろ? 俺の愛は、この程度じゃ砕けない」
メスを強く握り締め、横に大きくなぎ払う誠二。まるで、自分の行く道を遮る者達を追い払うかのように。
それを見たが第二撃を誠二に打ち込む前に、セルティが動いた。
「きかない」
「おい、こいつ何か薬キメてんのか?」
訝しげな表情で誠二を見る門田の言葉に、は心中で同意した。だが、誠二自身は門田が言う『薬』など使用していない。それでも、彼の行動は異常だった。
だが、そう思うのは周りの人間だけ。誠二自身はこの行動や自分自身に対して何の疑問も抱いていない。
「きかないッ! 痛みはあるが――忘れる! 俺と、セルティの、彼女の生活に痛みは必要ない! だから、今この場で受ける痛みに痛みを感じない!」
「おかしいこと言わないで!」
「滅茶苦茶だ!」
――何を言ってるのか、何が言いたいのか、さっぱりわからない。人によって愛の形は様々だから、これが矢霧君の『愛の形』なんだと思う。それでも、私にはわからない。理解、出来ない。
誠二の『愛の形』を理解することは出来なさそうに無いと再びが構えたとき、セルティが鎌を振り上げるのが見えた。よく見ると、鎌の先端が鋭く研ぎ澄まされている。
それを見た周りにいた者達は後ろへ下がった。も今いる場所から少し後ろに下がる。
誠二の腕を切りつけようと、セルティは鎌を振り下ろした。
『やめてぇぇぇええええッ!』
甲高い少女の声に、誰もが静まり返った。
「……え?」
――矢霧君の前にあの女の子が庇うようにして立って……それで、その女の子を守ろうとして矢霧君が身体を割り込ませて……。
結果的に、セルティの鎌は誠二に当たる寸前で止まり、誰一人怪我をすることは無かった。
それ自体は良い事なのだが、一部始終を目の当たりにしていた者達は、不思議な目で誠二とその少女を見ていた。は、初めてその少女を見たときは大人しそうな子だと思っていたのだが、180度様子が変わっていることに驚きを隠せない。
「止めて下さい! 誠二さんは、誠二さんは少し厳しくて、乱暴で、人と違うところがあるけれど、私を助けてくれたんです! 私の、私と杏里を助けてくれて、でも、それで、この人はもう好きな人がいるんですッ、だから、だから殺しちゃ……だめ……で……」
少女は涙を流しながら誠二の身体に向かって崩れ落ちた。
――この人、セルティじゃ、無い……?
がそう思ったのと同時に、帝人とセルティもこの少女の正体に気付いていた。
帝人はおそるおそる少女の『本当の名前』を口にする。
「張間……美香、さん?」
「え、張間さんって……同じクラスの?」
こくんと頷く帝人に、少女は震えながら目を逸らす。
「そうなんでしょう? あなたは、矢霧君に殺された筈の――張間美香さんなんでしょう?」
「嘘だ」
矢霧誠二と張間美香の間に何があったかわからないだが、話を聴いている内に薄々だが理解することが出来た。
先程誠二が言っていた『女ストーカー』の話。あのとき、確かに誠二は『殺した』と言っていた。その女ストーカーと張間美香をイコールにすると、話の辻褄が合う。
しかし、張間美香自身がストーカーをするように見えないには受け入れがたいもの。悩んでいると、張間美香だと言う少女が謝りだした。
「私……まだ死んでなかったんです! 一命は取り留めたんですけどッ……誠二さんのお姉さんが……誠二さんに好きになって欲しいかって……ッ! 私、誠二さんに殺されかけたけど、それでも誠二さんが好きで……! そしたら、そしたら、お医者さんが来てッ……少しだけ整形と化粧をすれば……あの首と……誠二さんの愛してる首とそっくりになるって!」
――イコールにして、正解だったんだ……。
女ストーカーと張間美香は同一人物だと言うことに驚いたが、それ以上に、殺されかけたのにそれでも愛することが出来る美香が凄いと感心した。
これもまた、愛の形の一つなのかもしれないと思いながら。けれど、次の言葉では思考が一瞬停止することになる。
「でも……そしたら、お医者さんは『君の名前はセルティだ。それが首の名前だからね』って……」
――え?
美香は話し続けているが、の耳には入ってこなかった。
――ちょっと、ちょっと待って。どうしてその『お医者さん』はセルティの名前を、首の名前を知っているの?
そこで、の中に一人の医者が思い浮かぶ。
この池袋でセルティの正体と共に名前も知っている人物。
そして、その人物は、本物の医者ではないが、闇医者として活動している。
――嘘。
岸谷新羅。彼以外、あり得なかった。
急いでセルティの方を向くと、どうやらセルティ自身も答えに行きついたようだった。
帝人とに一礼をし、黒バイクに飛び乗って行ってしまう。一段と大きく聴こえる嘶きに、セルティ自身かなり戸惑っていることが窺えた。
戸惑って当たり前だと思っていると、誠二に近づく影が一つ。その影に気付き、は誠二を見るとかなり放心していた。そんな彼に、その影はにんまりと口元を歪めた。
「嘘……だ。そんな……じゃあ、俺は……俺は……」
「ま、君は本物と偽物の区別すらつけられなかったわけで――ぶっちゃけた話をしてしまえば、あんたの『首』に対する愛はその程度だったって事だね。ご苦労さん」
――そこまで、言わなくてもいいんじゃ……。
確かに臨也の言う通りなのかもしれない。理解しがたいが、それでも、誠二の『愛』は本物。それは本人が一番良くわかっていること。だからこそ、この真実に一番ショックを受けているのは誠二自身だ。
そんな誠二に、わざわざ追い打ちをかけるような仕打ちは酷ではないだろうか、とは思った。
「誠二さん!」
膝から崩れ落ちた誠二に、美香が駆け寄る。
正直、今回の出来事で誠二に対してあまり良い感情を抱いていなかった。静雄とセルティを傷つけられ、友人の帝人を傷つけようとしたためだ。
だが、今の二人の姿を見ていると、何故か胸が痛んだ。
――二人とも、交じり合うことは無いのかもしれないけれど……本当に相手のことを愛してるんだ。
愛ゆえの行動で、誰かを傷つけて良いということにはならない。それでも、二人の愛を利用するかの今回の騒ぎは許しがたいものだ。
――結局、この二人も被害者と言えば被害者なのかもしれない。
「張間さんは――矢霧君と、凄く似てるんだと思う」
帝人の言葉に、は素直に賛成した。
「……それじゃ、僕は帰るね。さんはどうする?」
「私も帰る。……お兄ちゃん、待ってるし」
「また、明日ね」
「うん、また明日」
その場を後にする帝人の後姿を見送った後、は静雄の元へと急いで向かう。
静雄を見つけるのは簡単だった。煙草を吸っている姿を見つけ、抱きついた。
「お、おい。いきなりどうした?」
――今頃、セルティは新羅さんとどんな話をしてるんだろう。
「?」
「何でもない! ……帰ろ?」
――二人の問題だから、私に関わる権利なんてないけど……。それでも、拗れずに話が進んでればいいな。
「そうだ、サイモンだけどよ、俺の事呼んでねぇって言ってたぞ?」
「え!? あ、そ、そうなんだ! 呼んでるのかと思って……」
日常に戻ってきた。は静雄と話しながら、それを実感した。
――翌日。が後ろの席の帝人と話しているときだった。
「おいおいおいおい! 帝人、! 知ってるか!?」
やけにテンションの高い正臣が教室に入ってきた。その顔は純粋な笑みで満ちており、何が良い事があったのだろうかと二人は思ったが、どうやら違うようだ。
「あのな帝人、。ネットで見たんだが……昨日ダラーズの集会があったんだってよ!」
「へ、へぇ?」
「それがさ、何とサイモンと静雄もダラーズの一味だったらしい!」
――ま、まぁ、サイモンとお兄ちゃんは目立つから写真とかネット上に出ちゃったのかもしれない……。
「しかも、あの黒バイクが何か首が無くて壁を走って大鎌を出してなんつーかブワァーって感じで凄かったらしいぞ!」
「ちっとも解らないよ」
帝人とは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
昨日のダラーズの集会の事は一番わかっている二人。だが、もう終わった。終わったのだ。池袋には再び平穏が訪れ、ダラーズは元通り、無色透明になった。
「いやー、俺も見たかったなぁ……! 黒バイクが壁を走る姿! 大鎌を出してブワァーって行く姿! くっそー!」
くねくねと身体を動かしながら話す正臣から目を逸らし、一人席に座っている杏里を見る。ふと正臣が来る前に会話を交わした矢霧誠二と張間美香を思い出した。
あのような事件が起きた翌日の今日。が席に着こうとしたとき、今まで来ていなかった誠二と美香を見つけた。しかし、お互い一言も話すことなく席に着き、そのまま一時限目の授業が行われたが、休み時間に帝人とは誠二と美香に話しかけられた。
「悪かったな――色々と」
「ありがとね」
美香は所定の席には着かず、誠二の隣に勝手に座って授業を受けている。休み時間は誠二にべったりとくっついている。
そんな中、杏里は休憩時間も一人でぽつんと座っていた。
「くそう! あの子が誠二の彼女だったのか! 何てこった! あれなら確かに愛に生きても不思議じゃねぇッ!」
「そうだね」
全てを知っている帝人は苦笑を浮かべた。
――昼休み。帝人は屋上にいた。が杏里と共に屋上で昼食をとると話していたからだ。
――ネット上なら、誰にでも声をかけられるのに……!
遊びに誘う事がこんなにも勇気がいるのかと帝人は深呼吸を繰り返した。
「ま、正臣君……」
「あ、あの、紀田君……」
「この花は君達の為に咲いている……。で、どうだろうか。今日! 俺と! お茶でも」
げふ、と声を上げて正臣は飛んで行く。杏里とを口説いている正臣を見つけた帝人の蹴りが炸裂したのだ。
「……すごい飛んだね。……大丈夫?」
杏里の隣から離れ、は正臣に近づく。
「だ、大丈夫……。何せ俺は紀田正臣だからな……」
「あはは、意味わからないよ」
「あ、あの! 園原さん!」
その声にと正臣は帝人を見る。少し頬が赤いのは気のせいでは無いだろう。ぎゅっとズボンを握って杏里を遊びに誘う帝人に二人は笑みを浮かべた。
「す、すみません。今日はちょっと……」
「ううん、謝らないで! ま、また誘うよ」
「あ、あの!」
「な、何?」
「よかったらお昼ご飯……一緒に、食べませんか?」
置いたままにしてあったパンを急いでどけ、は今まで自分が座っていた杏里の隣を帝人に譲る。ありがとう、と戸惑いながらもお礼の言葉を述べる帝人に、頑張れ、と小さく呟いた。
フェンスの近くから帝人と杏里を羨ましそうに見る正臣の隣へ向かう。
「はぁ……今日はと杏里と一緒にデートに行くつもりが……」
「でも竜ヶ峰君良かったね。ほら見て、すっごく嬉しそう」
少年が杏里に恋をするまで、あと――
少年が杏里に告白をするまで、あと――
――夜。はセルティとの専用チャットに入った。
<こんばんわー>
――セットンさんが入室されました。
[ばんわー]
<セルティ! あの、大丈夫だった?>
<新羅さんと、喧嘩したりとか……>
[あぁ、大丈夫大丈夫。殴り合いはしたけど、今まで通り、何ら変わりないよ]
<殴り合いって……!>
[でも、これで良かったんだ]
[首が無いと言うことも、晒して良かった]
[私は、今まで以上にこの街が好きになった]
[それに、新羅ともようやく解り合えたような気がするんだ]
<セルティ、良かったね。おめでとう!>
[ありがとう、]
[あ、ごめん。仕事が入ったみたい。行ってくるね]
<うん、行ってらっしゃい。気をつけてね>
[ごめんね、行ってきます]
日常が、本当に戻って来た。
しかし、その日常はほんの束の間だと言うことを、この池袋で住まう人々は知らない。――約一名を除いて。
非日常は、音を立てず、その一名の手によって、確実に、そして、静かに忍び寄っていた。
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