帝人と杏里が走って場を離れ、喫茶店に入って話している頃。そして、騒動も落ち着いてセルティと静雄とが三人で話している頃。
「姉さんに任せるとは言ったけど……やっぱり彼女を一人にはしておけないよ。それに、いくら研究のためだからって、彼女を切り刻んだり頭の中をのぞいたりするなんて可哀想だよ」
と同じクラスの男子生徒――矢霧誠二が姉である矢霧波江の研究施設へと向かって歩いていた。彼の頭の中は『彼女』のことで占められている。その『彼女』は、一度誠二が施設から外へと連れ出した。
二人だけの生活。誠二は幸せだった。――しかし、その生活は長く続かない。
誠二に好意を寄せ、ストーカー行為を働いていた『張間美香』を彼は自宅で殺してしまったのだ。その後のことを姉に頼んだときに、波江に『彼女』の在りかがわかってしまった。
――姉さんに頼るしかなかったとは言え…。ごめん、本当にごめん。
「やっぱりあの時に返すべきじゃなかった。断固として抗議しなきゃ。姉さんだって伯父さんだって、僕達の愛を見せればいつかは納得してくれるさ。それでも駄目なら、駆け落ちしよう」
誠二は『彼女』のことだけを考えていた。殺してしまった『張間美香』では無く、愛しい『彼女』のことを。
研究所から清掃業者の車が出て行く。その車が持つ意味を知っている誠二は、眉間に皺を寄せた。
――人を攫って人体実験。家出少女の横流し…。
反吐が出る――出て行く軽トラックを睨みつけた。そのとき、後ろに人がへばりついている様子を目にした。
――あれは…!
誠二はそのトラックを追いかけるようにして走った。
後ろにへばりついている人こそ、誠二の愛しい愛しい『彼女』だった。
「俺は門田とか遊馬崎とは違って、何かやらかす時はいつも一人だった。それは臨也だって同じだと思う。あいつには仲間ってものがいないからさぁ。だけど、俺だって寂しくないわけじゃないんだ。形だけでもいいから、本当は人と関わりたいんだけどね」
酒を呑んだ静雄は、とセルティに愚痴を溢す。セルティはヘルメットを傾け、頷いているように見せ、は静雄の傍でしゃがんで相槌を打っていた。
池袋では有名な二人の傍に、来良学園の制服を着た。傍から見れば不思議な光景だが、周りの人間は一瞥するだけでそこまでは気にしていないようだ。
――に訊いたが、かなり酒を呑んだようだな。…でも、このまま放置するのも気が引けるし、気が済むまで付き合ってやるか。
セルティがそう思っていると、静雄は再び疑問を口に出した。
「しかし――臨也の奴、何でこの街に来たんだ?」
――昨日今日、二日続けているのは確かに珍しいな。
臨也は新宿を根城にしている。情報屋と言う職業柄、いろんな客が彼のもとを訪れる。そう考えると、池袋に来る暇などあるはずがない。
静雄は、臨也にゴミ箱を投げる直前まで来良学園の生徒と話していたことを思い出す。
「…そういや、。お前臨也と――」
「どうしたの?」
「何の騒ぎだ?」
池袋の街が少し騒がしい。その中心に、一人の少女がいた。
パジャマ姿で、歳はと同じくらいの少女。おぼつかない足取りで歩いている。
「怪我とかしてるのかな…?それとも、どこからか逃げ出してきたとか…」
「さぁ、どうだろうな」
静雄とが様子を窺っているとき、セルティも注意深くその少女の様子を窺う。そして、セルティはその場で固まった。
――私の顔が何故あの少女の首の上にあるんだ!?
セルティは少女の元へと駈け出した。
「セルティ!?」
「おい、どこ行くんだ!?」
静雄ともセルティの後について行く。セルティを追うにつれて近づく少女との距離。
人混みをかき分けて向かっていると、前方から少女の叫び声が聴こえて来た。
「やッ……ぁっぁあぁあぁ、イヤァァァアアアッ!」
周囲の視線がセルティと少女、近くにいる静雄とに注がれる。興奮しているのだろうか、セルティは周りが見えていないようだ。その様子を察知した静雄が、セルティと少女に近づく。
「あー、落ち着いて下さい。俺達は別に怪しいもんじゃないから」
錯乱状態に近い少女を落ち着かせようと、静雄が少女の肩に手を置こうとしたときだ。何かが静雄の太股付近に刺さる。
「あ……?」
「や、矢霧君…何して…」
は静雄の後ろを見ており、静雄もその方向に振り向く。すると、そこにはと同じブレザーを着た少年、矢霧誠二が何かを持って構えていた。
――矢霧君の持ってる物って…ボールペン…?
よく見ると、静雄の太股に刺さっているのもボールペンだ。
「あぁ……?」
「彼女を離せ!」
誠二の声にセルティが振り向き、その騒ぎに驚いた。静雄の太股にはボールペン。そして、誠二の手には新しいボールペン。
どうなっているんだと驚いていると、パジャマ姿の少女はその隙をついてセルティの手を振り解き、そのまま路地の奥へと走り去ってしまう。
「セルティ、いいの?」
――追いかけなくていいの?
の言葉に、セルティはボールペンが二本刺さる静雄と少女が姿を消した路地の方を何度も何度も見る。その間に、誠二は三本目のボールペンを取り出していた。足払いをかけてボールペンを持っている方の腕の関節を外してしまおうか――は誠二の方へと歩を進めるが、静雄は手を出すなと止めた。
「でも」
「大丈夫だから、心配すんな」
――ボールペン刺さってるのに、大丈夫って言わないでよ…。
「良かった……」
路地の奥へと走り去ったパジャマ姿の少女を見て、誠二は心から安心したかのような声を出した。
それに苛立ったセルティとが誠二に詰め寄ろうとしたとき、静雄が笑顔で二人に話しかけた。
「あ、俺は大丈夫だから。酒のせいであんま痛み感じない」
「だからって、ボールペン刺さってるんだよ?」
「大丈夫だって。セルティ、だからいいよ、行って。良く解らないけどさ、おっかけなきゃヤバイんだろ?」
サングラスを外し、胸ポケットにしまう。そして、自分の頬を叩いた。
「ハッハぁ、一度言ってみたかったんだ。『ここは俺にまかせて先に行け』ってよ」
少しだけ学生――誠二が心配になったが、ここは静雄の好意に甘えることにする。騒ぎが大きくなり、警察が来るとすれば静雄が被害者であると言うことを証明出来たとしても、セルティ自身の存在の証明が出来ない。
――ありがとう!
セルティは両手を合わせて一礼をすると、黒バイクに跨って追いかけて行った。
「待てッ!」
「いや、お前が待て」
静雄は後ろから誠二の襟首を掴んで軽々と持ち上げた。すでに誠二の足は地面に着かず、ぶらぶらと揺れている。
「あの子、君の彼女?」
「そうだ! 俺の運命の人だ!」
静雄から逃れようと手足をばたつかせるが、効果が無い。しかし、静雄の問いには自信満々に答えた。
「……彼女、何であんなんなの?」
は静雄を見た。冷静に誠二の言葉に耳を傾けようとしているが、苛立っていることに気付いたのだ。
――危ない、かも。
パジャマ姿の少女のことを問われ、知らないと怒鳴る誠二。静雄の中の苛立ちは大きくなるが、何とか抑え込んでいるようだ。
「じゃあ、彼女の名前は?」
「そんなもの知るか!」
一気に温度が下がったような気がした。それは周囲にいた者達にもわかったようで、一瞬にして顔色が変わっていた。静雄の表情も、穏やかなだったものが険しくなり、血管が浮かび上がっている。周りの熱を奪い、そしてその熱を今度は誠二に向けて放った。もちろん、自分の怒りもそこに乗せて。
「なぁんだぁぁぁそりゃあああーッ!」
「あ、当たる…」
は目を瞑る。車道に向けて投げられた誠二の身体は、停車していた宅配トラックに叩きつけられた。
もし、信号が赤ではなく青だったら。そう考えると、身体の震えが止まらない。ぶるりと震えた後、叩きつけられた誠二が心配になり、はゆっくりと近づいて行く。しかし、そんなの横を静雄が足早に通り、誠二の胸倉を掴んだ。
「好きな相手の名前も知らないってのはよぉー、ちょぉーっと無責任じゃあねぇのか? あ?」
前後に誠二を揺らす。トラックにぶつかった衝撃はまだ誠二の中に残っているはずなのだが、それでも強い眼差しで静雄を睨みつけていた。
「人を好きになる事に……名前なんか関係ない!」
「あぁ? じゃあ、何で名前も知らない奴が運命の奴なんだ?」
「――俺が、愛してるからだ。他に答えなんかない! 愛を言葉に置き換える事なんかできやしないッ!」
その言葉に、静雄は前後に揺らしていた誠二の身体を止めた。ふと、静雄の中にが過ぎる。
――何で、が出てくんだ?
「だから俺は、行動で示すッ! 彼女を守る、それだけだッ!」
――どこかで俺は、こいつに共感してる部分があるとでも言いてぇのか。
誠二は持っていた三本目のボールペンを静雄の顔面に向けて振り下ろした。しかし、それは片手で簡単に受け止められてしまった。
静雄の目は怒りで赤く染まっている。口元ににやりと笑みを浮かべた。
「臨也よりは、ずっと気に入った」
誠二からボールペンをむしり取り、誠二の身体を胸元から離した。だが、まだ終わっていない。終わっていないのだ。
「だから、これで勘弁してやる」
ごつん、と音が響いた後、静雄は踵を返した。離れて見ていたは急いで静雄の元へと駆け寄る。
「か」
「お、お兄ちゃん! それ抜いちゃ駄目だよ! 抜くと血が出るよ!」
「あー、抜いたら血が出るよなぁ、これ……絆創膏買ってから抜こう。いや、瞬間接着剤の方がいいか……」
「良くないよ! わ、私ガーゼとか何か買ってくるから、お願いだから今抜かないでね!?」
走って買いに行くの後姿を見て、静雄は近くに座り込んだ。
先程まで静雄がいた場所では騒ぎになっているようで、警察が来ていた。何か喚いているような声が聴こえるのは、きっと気のせいではないのだろう。少年が警察に押さえ込まれてるのが見てわかったからだ。
静雄は少年が言っていた言葉を思い出し、声に出してみた。
「愛を言葉に置き換える事なんかできやしない…か」
そこでまたが過ぎる。ふるふると首を横に振り、両手を広げて、手のひらを見た。
「…俺は、誰かを愛することなんてやめたんだ」
広げた両手を畳むかのように、ぐっと握り拳を作り、また開いた。そのまま両手を後ろにやり、腰を下ろしているブロックと同じところに手を置いて、首を逸らした。
――俺は、世界一の臆病もんだ。
首を逸らしたまま、静雄は瞳を閉じた。
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