静雄の姿を見て、はその場に立ち上がった。どうしてここにいることがわかったのだろうか。早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、胸に手を置く。
ゆっくりと歩を進め、静雄はの横に立った。の方は見ずに、あと少しで沈みきる夕陽を見ている。
「どうしてここにいることがわかったんだって顔してるな」
「だ、だって…」
「お前、何かあるとここに来てたからな。今回も、もしかしたらって思ってよ」
――何かあるとここに来てた。静雄はそう言うが、にはわからなかった。思い出した記憶の過去を遡ってみるが、この場所の記憶が無いのだ。それでも、身体だけはこの場所を覚えているようだった。門田達の元から離れたあと、は一人になれるところを求めていたからだ。そして、気がつけばここに辿り着いていた。
静雄の言葉には納得できる。しかし、何故ここがにとって、大切な場所なのかがわからない。
――わからない。一人になれるから、この場所が好きなの?
静雄に訊こうか。ちらりと隣にいる静雄を見る。静雄はいまだ夕日の方を見ていたが、の視線に気づき、に目を向けた。静雄と目が合ったことに、びくりと肩を震わせる。は静雄から視線を逸らした。
静雄のことはもちろん思い出したが、何故か気まずいのだ。静雄に訊きたいのに、気まずさからうまく話すことが出来ない。記憶を失う前のように話すことが出来ればいいのにと、歯がゆく思った。
「なぁ、」
「な、何?」
「…いや、何っつーか、お前…思い出したんだよな?」
の様子を見て、静雄は不安になった。本当に、全て思い出したのかと。静雄の問いに、は何度も首を縦に振った。静雄のことも思い出したのだと、はっきり言った。だが、そのあとには気まずそうに俯いた。
「思い出した、けど…ところどころ、その…」
「抜けてる部分があるのか?」
「うん…」
「あー、じゃあこの場所のことは?覚えてるか?」
「ご、ごめんなさい…」
覚えてない、と言う言葉は小さかったが、確かに静雄の耳に届いた。本当に申し訳なさそうに縮こまる。その姿を見て、静雄は気にしていないとでも言うかのように小さく笑みを零した。静雄の優しさに、は更に申し訳なさを感じる。
すると、静雄はの頭の上に手を置き、くしゃりと撫でた。小さく肩を揺らして、顔を上げると、静雄は穏やかな笑みを浮かべていた。
「ここは、俺のお気に入りの場所でさ。…昔、お前を連れてきたことがある」
「え…?」
――お気に入りの、場所?
「俺も昔はいろいろ悩んでたからなぁ。…一人になるには、ここは最高な場所だった」
確かに、ここは人通りも少ない。その上、景色が良い。一人になり、考え事をするのなら最適な場所だろう。
静雄はの頭から手を話し、両手をそれぞれポケットに突っ込む。
「お前をここに連れてきたのは…確か、俺が中学生のときだな」
それは、が平和島家に引き取られた頃まで遡る――。
引き取られたばかりのは、両親が事故で亡くなったこともあり、一言も発さなかった。静雄の両親が話しかけても頷くだけ。静雄や幽に話しかけられても頷くだけ。年頃の女の子がする遊びにもまったく興味を示さず、外に出ることも無かった。
そんなは常に遠くを見ていた。まるで何かに耐えるかのように。それに気付いていた静雄はとうとう痺れを切らした。ある日、強引にを外に連れ出したのだ。
「俺のお気に入りの場所に連れて行ってやる」
夜で辺りは真っ暗。それでも静雄は幼いの手を引き、歩いていく。今のには、一人になれる場所が必要なのだと思っての行動だった。
――そして、静雄がを連れてきたのが、この場所だった。
フェンスを潜り、静雄は後ろにいるに振り向いた。
「ここ、静かだろ」
こくん、と小さく首を縦に振る。それでも、の目に静雄は映っていない。まだどこか遠くを見ているのだ。
「俺もさ、一人になりてぇときとかよく来るんだ。だからさ――」
ぐっと拳に力を入れる。
「泣けよ。…我慢するな」
――あれ、何の反応も無い…?
静雄は不安になったが、しばらくしてから、は遠くではなく、前で立っている静雄を見た。表情は変わらないが、それでもが静雄を見たと言うことは、静雄の言葉がに届いたと言うことだ。
――あともうひと押しが必要だと、静雄は言葉を続ける。
「俺がいて泣きづらいって言うなら、俺は後ろ向いて、目ぇ閉じて、耳も塞いどく」
――だから、泣け。これ以上、我慢するな。
静雄は後ろを向いた。先程言ったとおり、目を閉じ、手で耳を塞ぐ。しかし、手で耳を塞いでも聴こえてしまうものは聴こえてしまう。それでも、こうしていれば今のを安心させることが出来るだろうと思った。だが、いつまで経っても何も聴こえてこない。気になって耳から少し手を離したとき、後ろから衝撃が来た。
「な、ど、どうしたんだよ!?」
が静雄に抱きついたのだ。驚いて後ろを確認すると、が静雄の背中に抱きつき、肩を震わせて泣いていた。それでも声を上げない。
「一人になったって思って、悲しかったんだよな」
は小さく頷く。静雄にもその気持ちは痛いほどわかったからだ。静雄の『力』に怯え、静雄に近づく者はいなくなってしまった。
――辛かった。悲しかった。だからこそ、静雄はの力になろうと思った。に、一人だからと辛い思いはさせない。悲しい思いはさせないと。
「これからは、何があっても、俺がずっと一緒にいてやる」
――お前を一人になんかさせねぇ。
その言葉に、は我慢していた嗚咽をあげた。静雄は振り向き、膝をついてを抱きしめる。静雄の首元に腕を回し、肩に顔を埋めては泣いた。
が泣き止むまで、静雄はずっとの頭を撫でつづけた――。
「――あ、あの…ありがとう、ございました」
泣き止んだは、静雄に丁寧にお礼を言う。そんなに、静雄はでこぴんをした。痛そうに額を押さえるだが、何故か笑みを零している。
「そこは普通に『ありがとう』でいいんだよ」
「あ、ありがとう…静雄、お兄ちゃん」
照れくさそうに『お兄ちゃん』と呼ぶの頭を、わしわしと撫でる。
「本当に、一緒にいてくれるの?」
「いるって言ってんだろ?あー、あれだ。約束、な」
「…うん、約束!」
――思い出した。
は涙を流していた。拭っても拭っても、涙は止まらない。こんな大切な記憶を、どうして早く思い出さなかったのだろうと思った。
覚えていないと言ったとき、静雄は優しく微笑んでいた。何故、静雄はこんなにも優しいのか。
「ご、ごめんなさい…今まで、思い出せなくて…っ」
ごめんなさい。ごめんなさいと謝るに、静雄は『謝るな』と笑った。謝ってほしくなかったのだ。思い出せないのは、別にのせいでも何でもないのだから。
「俺は…お前の記憶とか全部取り戻してやりてぇけど、どうすればいいかわからねぇ」
それでも、あの言葉は――
「…あのときここで言った言葉は、嘘なんかじゃねぇ。お前に何があったって、ずっと一緒にいる。それに…」
――他の誰でもねぇ。俺は、が好きなんだ。
は静雄を見た。静雄の言葉が嬉しくて、何か言いたいのに言葉が出ない。静雄はの肩を引き寄せて、抱きしめた。静雄の腕の中で、は肩を震わせて泣いた。
「い、今まで…今まで二人で過ごした時間も忘れてしまってるのに…何でそんな優しい言葉ばっかりくれるの?」
「…忘れちまってることは、悲しい。けどよ、こうして俺のところに戻ってきてくれたじゃねぇか。それ以上を望むなんて出来ねぇよ」
「ごめん、なさい…」
「だから、謝るなって。……おかえり、」
「――ただいま、静雄さん」
静雄はを強く抱きしめた。自分の腕の中にがいることを実感するかのように――。
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