今日に限って、臨也さんが鍵をかけ忘れていることは幸運だった。


「俺が知らないでいいって言ってるんだから知らないでいい」


 臨也さんはそう言うけれど、私は知りたかった。平和島静雄さんのことを。
 だけど、臨也さんは――。笑っていたけれど、話すことすら嫌だとでも言いたげな目をしていた。二人の間に何があるかは私にはわからない。きっと、私が聞いても臨也さんは答えてくれないだろうから。この話に限らず、臨也さんは、平和島静雄さんに関する話は答えてくれないと思う。


「ごめんなさい」


 私は、知りたい――彼を、平和島静雄さんを。そして、思い出したい。
 少しずつ、思い出せるところから思い出していけばきっと――臨也さんのことも思い出せる。少なくとも、私はそう信じている。


「ごめんなさい、臨也さん」


 無我夢中で走った。彼がいる街、池袋へと――。




 ――池袋。太陽は傾きつつあり、帰宅途中の学生と何度もすれ違った。
 きょろきょろと辺りを見渡しながら、は必死に静雄の姿を探した。しかし、池袋は広い。いくら目立つ人物とは言え、そう簡単に見つかるわけがなかった。


「どこに、いるんだろう」


 今のは、静雄がいそうな場所などの見当がまったくつかない。ただただ闇雲に歩き回る方法しかなかった。金髪の人物を見かけては、身に着けている衣服を見てため息をつく。その繰り返し。日も暮れ始めている。早く見つけなければ――の中で焦りが生まれた。
 大通りから逸れた道に入り、歩き続ける。どこに静雄がいるかわからないため、あらゆる道を歩くしか無い。大通りと比べて人通りが少ないこの道。道路の端に止めているワゴン車の横を通り、角を曲がろうとしたときだった。ワゴン車のドアが開く音がした。


「おい、お前…!」


 後ろから肩を引っ張られ、は振り向いた。立っていたのは、帽子をかぶった男――門田京平。
 しかし、にはわからない。そして、今のは立ち止まる時間すら惜しいのだ。一刻も早く静雄を見つけて知りたいことを全てを聞かないと、いつ臨也に見つかるかわからない。そうなると、は静雄のことを知る機会を失ってしまうことになる。それは避けたかった。
 無視を決め込み、歩き出そうとすると、後ろから手を掴まれる。は後ろを見ないまま、言葉をかけた。


「急いでるんです、離して下さい」

「待て。何を急いでるんだ?」

「ある人に会わないといけないんです、だから――」

「それって、静雄のことか?」


 門田の言葉に、は抵抗をぴたりと止めた。おそるおそる後ろを振り向き、門田を見る。


「やっぱり静雄か。静雄ならさっき会ったんだが、仕事中だったな。今は会いたくても会えねぇよ」

「…あの、お知り合いなんですか?」

「ま、知り合いだな。高校のときの同級生だ。ちなみに、俺はお前のことも知ってるぜ。――


 ――私のことも知ってる?でも、私は…思い出せない。この人のことを…。
 一体、この池袋に私を知っている人はどれだけいるんだろう。どうすれば、思い出せるんだろう。この人のことを。平和島静雄さんのことを。臨也さんのことを。


「そんな顔すんな。俺は…静雄から話を聞いてるから、大体のことは知ってる。お前、記憶無くなっちまったんだろ?」

「…はい」

「だったら、俺のことを知らないって思うのも無理はない。とりあえず、軽く自己紹介をでもしておくか。俺のことを思い出すきっかけになるかもしれねぇからな」

「ありがとう、ございます…」


 軽く自己紹介しつつ、の頭の上に手を置き、くしゃりと髪を撫でる。その撫で方に懐かしさを感じた。
 照れくさそうに微笑む門田につられても笑みを零す。同時に、抱いていた警戒心は消えた。思い出すことは出来ないが、頭を撫でられたことに懐かしさを感じたと言うことは、過去に何度もそういうことがあったのだろうと思った。
 何よりも、焦っていた心が落ち着きを取り戻した。目の前の門田を信用するには、それで十分だった。


 ――警戒されなくなった…?何か少しでも思い出したのか?
 しかし、忘れられてるってのはショックだな。俺は記憶が無いことを知っていたからこの程度で澄んだが、静雄は…直でこの現実を知ったんだ。ショックの大きさは計り知れねぇな。


「あ、そうだ…お前、静雄に会いに来たってことは、何か思い出したのか?」

「断片的に、ですけど…」

「そうか…。良い事じゃねぇか。断片的にでも思い出したんだろ?なら、あともう少しだ」

「良い事、ですか?」

「そりゃそうだろ」


 自然と涙が出た。いきなり涙を流し始めたに、門田は慌てるしかなかった。何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろかと。
 謝ろうとする門田に、は首を横に振った。貴方のせいではないと伝えるかのように。


、大丈夫か…?」

「大丈夫です。あはは……良い事だって、記憶を取り戻すことは、良い事だって、あの人にも言ってもらいたかったのかもしれません」

「あの人?」

「あ、えっと…臨也さんです」


 ――臨也?何でそこで臨也が出てくるんだ?


 がいなくなったときも、臨也は心配していた。俺も探すと、そう言っていたのだ。なのに、その臨也を何故記憶の無いが知っているのだろうか。
 もちろん、臨也からそれ以降連絡は無かった。臨也の情報網ですら、は見つからないのかと考えていた。どうなっているのだろうかと思っていたとき、表情に出ていたのだろう。は慌てて臨也のことを軽く紹介した。


「あ、あの、臨也さんは私の恋人で――」

「恋人?臨也が?」

「は、はい」


 ――本当に、どうなってんだ。


 門田は否定した。臨也は恋人などではないと。
 しかし、臨也は恋人だとに言った。どういうことなのか。のその疑問に門田は答えた。


「お前の恋人は、静雄だ」


 驚きで目を見開くに、門田は言葉を続ける。


「お前がいなくなって、一番ショックを受けてたのはあいつだ。静雄だ」


 いなくなったという言葉に反応をする。以前も誰かに『いなくなって心配した』と言われたような感じがするのだ。
 それもそのはず。は薬で記憶を失っているが、池袋で静雄に会った日に本人から言われているのだ。


「私は…いなくなったんですか?」

「ある日突然な。…静雄が必死になってお前を探し回っててよ、話を聞いてみたら『がいなくなった』って言うから、俺も仲間と一緒に探してたんだ」


 ――私は、池袋でいたの?新宿じゃなくて、この池袋に…?


 臨也からは、新宿で臨也と二人で住んでいたと聞いていたのだ。臨也を信じたい気持ちはある。だが、目の前にいる門田が嘘をついているようにも見えない。


「あ、あの…」

「何だ?」

「教えて、もらえませんか」


 ――平和島静雄さんのこと、そして――臨也さんのこと。


「…お前、いいのか?今の様子を見てる限りじゃ、お前の知ってることと大分違う話を聞くことになるんだぞ」

「それでも構いません。お願いです、教えて下さい」


 本当は怖かった。聞けば、何かが崩れるような気がしたのだ。だが、これ以上ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
 記憶を取り戻すためにも――。








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