――俺の隣だ。


 一瞬、何かの映像がの頭を過ぎる。すぐに理解した。――過去の記憶だと。先程と違うのは、思い出す量の多さ。
 膨大なデータを処理するには、今のにはきつかった。鈍い痛みが頭を襲い、立っていられなくなる。


「おい、!?」


 近くでいるはずの静雄の声も、遠く聞こえた――。




「おい、そんなところで何してんだ?」


 電柱の上にランドセルを背負った小学生が座っていた。――だ。
 授業終わりの静雄がそこを通りかかり、偶然発見した。声をかけるが、は気まずそうに顔を逸らし、膝に顔を埋めた。静雄の言葉も無視した。もちろん、がこうして電柱の上で座り、静雄の言葉すら無視するのにも理由がある。


、いい加減下りてこい」


 心配と苛立ちが混じり合った声。ちらりと隙間から様子を窺うと、静雄はむすっとした表情でを見ていた。
 怒っているのだろう、心配してくれているのだろう。そう思ったが、ここから下りる気にはなれなかった。


「…やだ」

「電柱の上にいたら危ねぇだろうが」

「化け物だから、危なくないもん」


 ――化け物。その言葉に、静雄は眉間に皺を寄せた。何を考えてそんなことを言っているのかと言いたげな表情を浮かべて。


「私は…化け物だから…皆と一緒にいちゃ駄目だもん…」

「おい」

「だから、もう」

「黙れ!」


 思えば、静雄に怒鳴られたのはこれが初めてだったかもしれない。
 その声にはびくりと肩を震わせた。


「さっきから聞いてたらよ、何言ってんだお前は!化け物?ふざけんのも大概にしろ!」

「…でも」

「何だ」

「私、おかしいもん。皆に出来ないこと…出来るんだもん…」


 きっかけは、クラスメイトの発言。平和島家に預けられてからと言うもの、何故か誰かわからない大人達に追いかけられたり攻撃されたりする機会が増えた。人数に寄っては、身軽さを利用して逃げることが多かったため、悪いとは思いつつも民家の屋根や、ビル、電柱などを利用して逃げていた。昨日も襲撃され逃げていたのだが、ちょうどその場面を運悪くクラスメイトに見られてしまった。


『化け物だ!』

『ビルの壁を蹴って屋上まで行くとか化け物だよな』


 そうして始まった『化け物扱い』は、幼いの心に深く傷をつけた。
 化け物は、人間と一緒にいてはいけない――このように言われてしまったは、学校が終わったあとも家に帰ろうとはせず、電柱の上で膝を抱えていたのだ。――自分は化け物だから。


「…それで化け物ってか?――なら、俺も化け物だな。ほら、これで問題解決だ。下りてこい」


 静雄はに向かって両手を広げた。は、静雄の優しさに涙が溢れた。勢いよく静雄の胸に飛び込む。


「うぉ…っと」

「お、お兄ちゃんは、化け物なんかじゃ、ないもん…!だから、自分のこと化け物って言わないでよぉ…!」

「じゃあ、お前も自分のこと化け物なんて言うな。っつーか、もしお前が化け物だとしても、俺は何とも思わねぇ。お前は、お前だろ」

「うん…」

「怖がらねぇし、離れたりもしねぇ。…前に、約束しただろ」

「…うん!」


 ――約束?約束って何?


「俺はずっとお前の隣でいるから、何があっても守ってやる。お前のこと化け物って言う奴からもな」

「じゃあ、それも約束!」

「あぁ、約束な」


 ――わからない。私と貴方の間で、一体何の約束を交わしたの?


 ずきんと痛む頭。が気になる『約束』を思い出そうとすると痛みが邪魔をした。まだ思い出すには何かが足りないのだろうか。ノイズがかかったように映像が霞んでいく。


 ――待って。私はまだ思い出してないことが…!


「…!」


 ――声が、聴こえる。誰かが、私を呼んでる。


「しっかりしろ!」


 静雄の声で、は我に帰る。目の前にいる静雄は、バーテン服を身に纏っている。が見た、学校の青い制服では無い。それでも、まだ夢と現実の区別がつかなかった。きょろきょろと視線を動かした。


「…大丈夫か?」

「私、倒れたんですか…?」

「あぁ、頭を抱えてな。意識はあるみてぇなのに、声をかけても返事が無かったから心配した」

「…ごめんなさい」


 心配をかけたこと、約束を忘れてしまったことに対しての『ごめんなさい』だった。静雄がそれに気付くことは無いのだが、それでもは謝りたかった。
 幼い頃の自分は、その約束をとても大切にしていたようだからだ。そして、静雄も。
 ――約束のことだけでも思い出したい。ここまで無くした記憶を渇望したことはなかった。


「…本当に、ごめんなさい」

「何回謝ってんだよ。気にしてねぇって」


 ――約束を、忘れてしまってごめんなさい。


 涙が零れそうになった。は急いで立ちあがり、静雄に背を向ける。泣きそうになる自分を見せないためだ。これ以上、静雄に迷惑を、心配をかけたくなかった。


「わ、私、帰ります」

「お、おい」

「さようなら…!」


 ――臨也さんに教えてもらおう、あの人のことを。


 思い出した記憶は、小学生の頃の記憶。静雄のことを『お兄ちゃん』と呼んでいた自分。あの人と自分の関係は一体何なのだろうか。
 そして、記憶の中で『化け物』と呼ばれていた自分。


 ――悲しかったはずなのに、あの人の言葉で救われた気がした。ううん、救われた。私は、幼い頃の私は、あの人の言葉に救われたんだ。


 そのとき、ふとにある疑問が浮かんだ。必死に動かしていた足を止めた。


 ――思い出した記憶は、全部あの人のこと。臨也さんとのことは…まだ一つも思い出せてない…。


 記憶を失った自分が目を覚ましたとき、その場には臨也がいた。何も覚えていないに、臨也は優しく接してくれ、そのときに臨也との関係を教えてもらった。臨也とは記憶を失ってから三ヶ月程一緒にいるが、その間にが臨也との記憶を思い出したことはない。それなのに、昨日出会ったばかりの静雄との記憶は思い出す。
 どうなっているのだろうかとは思った。しかし、考えれば考えるほどわからなくなる。


 ――大切なことこそ、思い出しにくいって言うのはよく聞くけど…そういうことなのかな?


 再び足を動かす。今まではもう戻らないものだと思っていたが、少しずつ戻ってきている記憶。


 ――どんなことでも、記憶が戻ってきていることは、きっと、臨也さんも喜んでくれる。だから、早く臨也さんのことも、思い出したい…!


 は、そう思って走っていた。








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