「にゃあ」


 耳元で鳴く黒猫は、布団の中の主を起こそうとまだ小さなその身体を擦り寄せる。この家の住人が帰ってきたら起こす役目を担っているのだ。耳元で再び鳴いてみると、ようやく目を覚ましたようだ、薄らと目を開け、布団の中から手を出して頭を撫でる。


「ごめんね、ありがとう」


 そう言って布団の中の主は起き上がった。薄暗い部屋を迷うことなく歩き、扉を開けると眩しい光が視界一面に広がった。先程までは暗かった廊下に明りが灯っていると言うことは、玄関先には待ち侘びた人物が居ると言うこと。部屋からは近いが、それでも早く会いたくて急いで玄関に向かった。
 玄関先には、やはりその人物が居た。目立つ金髪に、サングラス。そして、今日は破れることがなかったバーテン服を着た男。


「お帰りなさい、お兄ちゃん」

「ん…あぁ、ただいま。あー、すまん、起こしちまったか」




 ――池袋で最も「喧嘩を売ってはいけない男」 平和島静雄。




「ううん、この子にいつも起こしてもらってるんだ。
 お兄ちゃんが帰って来たら、いつでもお出迎え出来るように」

「出迎えなんていいって言ってんだろうが。それよりも早く寝ろ。明日入学式だろ」

「お兄ちゃんに、おやすみなさいって言ったら寝るよ」

「何だそりゃ。…おやすみ、

「おやすみなさい」

「あぁ、入学おめでとう。ま、頑張れよ」


 ぽんぽん、との頭を撫でてから静雄はシャワーを浴びるために脱衣所へ入った。撫でられた部分に手をあて、も黒猫と共に自室へと戻った。


「おいで、“セルティ”」


 あの平和島静雄を“お兄ちゃん”と呼んだ少女の名前は、。一緒に住んでいるが、静雄の妹、などではない。
 の本当の両親は資産家だったのだが、十年前に亡くなった。表向きは交通事故となっている。しかし、実際は違うだろう、と言うのがの見解だ。
 には六歳以前の記憶は無いが、幼い頃から今にかけて“何故か”何度も命を狙われ、危険な目に遭ってきた。そうなることを予想済みで、両親はにいろんなことを教えてくれていた。未来を自分の手で守れるようにと。そして、大切な人のために力を使いなさいと。お陰で今日も明日を迎えることが出来たのだから。
 両親が亡くなった後は、両親同士が仲が良かった平和島家に引き取られた。家族の仲間入りしたを、静雄も幽も喜んで受け入れた。平和島家の両親もを実の娘同然に可愛がり、今もを大切に想っている。
 そんなは、今は静雄と共に住んでいる。と言うよりも、数週間前に静雄の元に引っ越してきたのだ。


「来良学園を選んだ理由、お兄ちゃんと…静雄さんと一緒に居たかったからって言うの、内緒だよ“セルティ”」


「にゃあ」


 の言葉に反応するかのように、黒猫“セルティ”は小さく鳴いた。“セルティ”と言う名前は、静雄が高校生のときに紹介してくれた友人の名前から取った。もちろん、本人の許可も取ってある。
 来良学園の学費は、亡くなった両親がに残してくれた莫大なお金から出した。




 ――お母さんもお父さんも優しい。だけど、これは私の我儘だから。




「そういえば、今日もあの人に会ったね」」


 ゆったりとした手つきで“セルティ”を撫でるは、幼い頃からの知り合いで、この数週間で頻繁に顔を合わせた男の顔を思い浮かべた。
 端正な顔つき、切れ長の目。きっとあの笑顔に女性は惚れるのだろうな、と思う。だが、はその男が――折原臨也が苦手だった。


「臨也さん、またお兄ちゃんに何かするつもりなのかな。…お兄ちゃんは知らないだろうけど、普通に池袋に来てるんだよね。言ったほうがいいのかな」


 そのとき、携帯の電子音が鳴り響いた。メールではなく、電話のようだ。は携帯を手に取り、サブディスプレイに表示されている電話番号を見る。が、まったく知らない番号だった。


「…もしもし?」

『あ、ちゃん?』

「臨也さん…」


 何で番号知ってるんですか、と聞く前に聞かれることがわかっていたかのように臨也は言葉を発した。


『俺は何でも知ってるよ、ちゃんが明日来良学園に入学することとか』

「どこから仕入れるんですか、そんなどうでもいいような情報」

『どうでもよくないよ、ちゃんの情報だし。あ、』

「何ですか?」

『俺の番号、登録しておいてね。後でアドレスも送るからそれも登録しておいて。これからも君に連絡することがあるからさ』

「携帯番号どころかアドレスも知ってるんですか…」

ちゃんが何度も俺と番号とアドレス交換するの嫌がるからだよ。
 あぁ、そういえばもう寝ないとね。夜遅いし。それと』



『入学おめでとう、おやすみ』



 一方的に切られ、は暫し唖然とした。だが、静雄以外の人に、それが例え苦手としている臨也でも『おめでとう』と言われることがこんなにも嬉しいものなのか、と思った。


「…明日から、新しい日常が来るね。おやすみ、“セルティ”」


 そして、明日から始まる新しい学園生活を夢見ながらは瞳を閉じた。






back / next