「ただいま」


 返事が無い。いつもなら静雄が帰宅すると必ず『おかえりなさい』と出迎えてくれるはずなのだが、今は居ないようだ。靴も見当たらない。


「出かけてるのか」


 少しだけ切ない感情が静雄の心に住みついた。
 彼女と住み始めたのはつい最近からなのだが、それでも静雄の中では彼女が居て当たり前になっていた。それほど、彼女――の存在は大きかった。
 リビングに行き、ソファーに座る。煙草に火をつけようとするが、やめた。咥えていた煙草を箱に戻し、ライターと共に机の上に置いた。


「…少し寝るか」


 長身の静雄には少々物足りないソファーだが、サングラスを取り、横になって目を閉じた。の帰りを待ちながら。







「ただいま」


 数十分後、が帰ってきた。両手にはスーパーの袋。どうやら晩ご飯の買い出しに行っていたようだ。
 いつもならこの時間には無い靴があるのを見て、は急いでリビングに向かう。


「…帰ってきてたんだ」


 ソファーに横になり眠る静雄の姿を見て嬉しくなった。
 普段なら、晩ご飯も一人で食べて静雄の分を用意して眠るのが日常だ。静雄と晩ご飯を食べるのはあって土日。ほとんど無いに等しい。
 眠っている静雄を起こさないように、荷物を冷蔵庫に閉まっていく。キッチンのところだけ電気をつけ、今日の料理の準備に入った。下準備はほとんどしてあったので、後は足りなかった物を追加するだけだ。リズムよく野菜を切っていき、皿に盛り付ける。あとは好きな量だけ取れるようにと大皿にパスタを乗せた。
 そして、各皿を机の上に並べていく。コップやお箸、フォークなど必要なものも一緒に。


「よし、出来た!」


 準備が全て整ったところで、静雄を起こすことにした。気持ち良さそうに眠っているところを起こしてしまうのは気が引けるが、逆に起こさないまま一人で食べてしまうと怒られるだろう。


「お兄ちゃん、起きて。ご飯の準備できたよ」

「…ん…」

「お兄ちゃん!」


 の声に反応し、静雄は目を開けた。が、そのまま起き上がることなく手を伸ばし、の腕を握った。
 いきなり腕を握られたは驚いたが、寝ぼけているのかともう一度静雄を呼ぼうとした。しかし、の口は静雄の胸板によって塞がれることになる。


「ん!?」

「帰ってたのか…お帰り…」


 口調からしてまだ夢の中だと言うことはわかったのだが、腕を引っ張られ、そのまま抱きしめられる展開は予想していなかった。突然のことに動揺が隠せない。
 仄かに香る煙草の匂い。そして、伝わってくる静雄の心音。頭上から聞こえる寝息。何もかもがを刺激する。


「あの…お兄ち――わっ!?」


 腰に添えられていた右手がそっと上に動く。その微かな刺激には堪らず声をあげた。
 その声に気付きもせず、静雄はの頭に自分の顔を埋めた。一段と近くなった距離にの心臓はこれでもかと言う程早く動いていた。


 ――どうしよう、どうすればいいのかな。
 起こすべきなのかな。起こすべきだよね、ご飯出来たんだもの。でも…。
 ――この状況が嬉しいって思ってしまう自分も居る。起こしてしまうと、もったいないような気がする。こんなこと言ってる場合じゃないのはわかってるけど。


 恥ずかしさと、嬉しさが入り混じったこの感情は、とうとうの中から静雄を起こすという行動を消し去る程までに大きくなったようだ。の中で葛藤が始まる。起こすべきか、どうか。
 そんな風に迷っている間も、静雄は眠り続けている。
 静雄の片足がの足に絡みついてきた。もうベッドで眠っている感覚なのだろう。しかし、はそれどころではない。足の間に静雄の足が入り、絡みつく。身動きが取れないうえ、激しい羞恥に襲われた。


「…ど、どうしよう…。え、えっと…」

「ん……」

「わ、あの、」

「…おやすみ…」


 ――おやすみ、って言われても、眠れないよ!!





 結局、静雄が目を覚ましたのは深夜になってからだった。


「…何で俺の上にが居るんだ?」


 うまい具合に絡みあった静雄の足との足。静雄の手によって少し捲れたの服。


「抱いてない…よな?」


 を起こさないように慎重に確かめ、いたしていないことにほっと一息ついた。
 ふと机の上にめをやると、ご飯の準備をしたままになっている。そこでようやく気付いた。は起こそうとしてくれていたのだと。そして、自分が寝ぼけてこういう状況を作ってしまったのだと。
 自分の上でぐっすり眠りについているの頭を撫でた。


「ごめんな、起こしてくれてたってーのに。
 …明日、トムさんに言って休みもらうか。今日の詫びをにしないとな」


 おやすみ、と静雄も再び目を閉じた。






戻る