1月27日 23時30分。
 静雄はまだ仕事をしていた。今日も払いを渋る客が多く、相手をしているとこのような時間になってしまった。
 だが、今トムが相手をしているこの客を何とかすれば今日は終了。いつもよりも早く帰れる方だ。最近は払いを渋る客ばかりで、家に着くのは日付が変わって数時間経ってからと言う事が多かった。
 少し先で客と話をしているトムの様子を眺めながら、ここしばらくは声すらも満足に聞けていない恋人の事を思い出した。もう寝ている時間なのはわかっている。早く帰宅する事が出来たとしても、が眠ってしまっているのなら意味が無いような気がした。


 ――起きて待っててほしい、なんて、ガキくせぇ。


 子供の様な我儘だと思いつつも、少しでも良いから声が聞きたい。会いたい。触れたい。同じ家に住んでいるのに、と静雄は銜えていた煙草を離し、煙を吐き出す。吐き出された煙は暗い寒空の下ではとても白く見えた。


「だから、サービスはサービスでも有料サービスを利用したなら払うべき……っと、おい、静雄!」


 渋る客に料金を支払うよう話していたトムが慌てて静雄の名を呼んだ。


「はい」

「悪い、すっかり忘れてたわ」


 何を忘れていたのかわからない静雄はトムの言いたい事がわからない。事務所に忘れ物があるのか、それともまだ会いに行かなくてはいけない客がいるのか。仕事関連だとこれぐらいか、と考えていると、静雄の予想とはまったく違った答えが返って来た。


「あとは俺がやっておくから、お前はもう帰れ。な?」


 トムの言葉を理解するのに、数秒かかった。
 仕事はまだ終わっていない。それなのに『帰れ』と言われても困惑するだけだ。もちろん、静雄も例外では無い。


「いいから帰れ。こいつ一人だ、俺が何とかする」

「いや、でも」

「大丈夫だって。今回の件に関しちゃ社長も許可してくれてる」

「今回の件?」


 今回の件とは何だろうか。首を傾げていると、後ろから馬の嘶きのような音が聞こえて来た。池袋では都市伝説とされている首無しライダーで、静雄の友人であるセルティのバイク音だと言う事はすぐにわかった。


「セルティ」

「お、ナイスタイミングだな」


 トムの言葉に頷くようにセルティは影を出した。その影は静雄の身体に何重にも巻き付く。


「おい、セルティ。何で俺の身体に」


 巻き付けてるんだ。そう言葉を続けるつもりだったが、セルティのとんでもない行動によって続かなくなってしまった。
 空中に浮く身体。叫び声をあげる間も無く、静雄はセルティの後ろに跨る状態になった。説明があるのかと思っていれば、何の説明も無しに影で作りだされたヘルメットを被せられ、セルティはそのまま走り出してしまった。後ろではトムが手を振っている。
 馬の嘶きのような音が響き渡る。普段のセルティからはあまり考えられない荒い運転。振り落とされないようにしっかりと後ろを持ち、静雄はセルティに話しかけた。


「セルティ、お前、どこに向かってんだ?」

『秘密だ』

「秘密って……何だそれ」

『秘密は秘密だ! まぁすぐにわかるよ』

「ならいいけどよ……」


 ――しかし何処に連れて行くつもりなんだ?


 セルティが『すぐにわかる』と言うならすぐにわかるのだろう。静雄は目の前のセルティの背中から視線を逸らし、周りに視線を向けた。池袋の街並みは静雄にとって見慣れたものだ。ぼんやりと眺めていると、セルティはとある路地を曲がり、静雄がよく通る道に入った。
 そこは仕事から帰宅する際に静雄がよく通る道。セルティはその見とを走っていた。


「……まさか」

『な? すぐにわかるって言っただろ?』


 セルティは静雄の家へと向かっていた。


『私は運び屋だからな、依頼があれば運ぶ』

「今回は俺が依頼品って事か?」

『まぁそうなる。ちなみに、依頼主はお前の上司だ』

「トムさんが?」


 静雄の家に彼を届けるように依頼したのはトム。だからセルティが来たのか、と合点がいったが、わからない事はまだまだある。
 仕事が残っているのに『帰れ』と帰らせてくれた事。そして、何故セルティに家に届けるように頼んだのか。


『最近、帰りが遅いんだろ?』

「まぁ、な」

『ふふ、その様子だと覚えてなさそうだな』

「何がだよ」

『静雄。明日は何日だ?』

「28日だろ。それがどうかしたか?」

『……本当に覚えてないのか?』


 ――明日がどうしたって言うんだ? ……約束はしてないし、何も無かったような……。


 本気で悩み始めた静雄に、セルティは肩を揺らした。笑っているのだろう。


『そこまで悩む事でも無いだろう?』

「だってよ、何があったかまったくわかんねぇんだ」

『自分の事なのに』


 そこまでPDAを打って、セルティは止まった。どうやら家の前に着いたようだ。


『あぁ、そういえば伝言を預かってるんだった』

「伝言?」

『明日は一日休み、だってさ』


 ささやかなプレゼントだよ、とセルティは静雄の肩を叩いた。意図がまったくわからないと言った表情を浮かべていると、再びセルティが肩を揺らした。笑われているのはわかるのだが、その仕草はどこか優しいようにも感じる。静雄が見ている事に気付いたセルティは、両手を合わせて謝る仕草をとった。


『とにかく、楽しめ!』

「あ? あ、あぁ。まぁせっかくの休日だしな」

『私達はまた後日お祝いするからさ』

「何の?」

『それじゃ!』

「おい、セルティ!」


 馬の嘶きの音を響かせ、セルティは手を振って元の道を帰って行った。


「……結局、分からねぇ事だらけじゃねぇか」


 それでも、不思議と嫌な感じはしない。静雄は鍵を開け、家の中へと入った。電気は付いていない。やはりは眠っているのだろう。少し肩を落としたが、明日は仕事が休みになった。漸くとゆっくり出来るとリビングの扉を開くと、机の前で蹲っている人影を見つけた。
 まさか、と静雄は電気をつけようとスイッチに手を伸ばしたが、慌ててその手を止める。ゆっくりと足音を立てずに近づくと、人影は静雄が求めて止まない人物だった。


……」


 机の上に顔を伏せて眠っているを見て、静雄は笑みを零した。
 久しぶりにを見た。寝顔だけでも見ようかと部屋に入ろうとした事はあるが、起こしてしまってはいけないと実際に入った事は無かった。


「……んなとこで寝やがって。風邪引いたらどうすんだよ」


 小さな寝息を立てて眠る。本当なら起こして部屋へ向かわせるべきなのだろうが、今は少しでも長くを見ていたかった。


「ん……」


 薄らとの目が開かれる。


「ん……? 静雄さ、ん……?」

「あ、わ、悪い」

「え!? ほ、本物!?」


 寝ぼけていたはどこへ行ったのだろうか。静雄の姿を確認したは勢いよく身体を起こした。


「本物って、俺の偽物なんかいねぇだろ」

「だ、だって!」

「……ただいま」

「おかえりなさい!」


 ――こんなやりとり、マジで久々だな。


 仕事がいつものように早く終わればいいのに、と思っていると、が静雄に抱きついた。普段の静雄ならびくりともしないだろうが、気が緩んでいたせいか、後ろに倒れてしまった。


「良かった、早く帰ってきてくれて……」

「何かトムさんが早く帰らせてくれてさ。しかも、セルティに俺を家に運ぶように頼んでたらしい」

「だから今日は早いんだね」

「あぁ。……で、何ではこんなところで寝てたんだ?」


 眠るなら部屋へ行けばいいのに、と静雄が言うと、は頬を紅潮させた。


「今日は絶対に静雄さんの事待ってるって決めてたから」

「何で?」

「あ、もうすぐだね」


 そう言うとは時計の秒針を見ながら、カウントダウンを開始した。何のカウントダウンかわからない静雄は、ただ黙ってを見ている。


「3、2、1……0!」

「おい、何のカウント」

「お誕生日おめでとう!」


 は再び静雄に抱きついた。


「誕生日? ……俺の?」

「今日は、1月28日でしょ? 静雄さんの誕生日だよ!」


 ――そうだ。今日は、俺の。


 忙しくてすっかり忘れていた静雄。ここでやっとトムの思惑とセルティの言葉の意味がわかった。
 今日、1月28日は静雄の誕生日。早く帰宅させてくれたのも、今日一日休みにしてくれたのも、全てはトムが静雄とが誕生日を一緒に過ごせるようにと考えてくれたからだ。そして、セルティはそんなトムの考えに同調し、依頼と言った形で静雄を家に送り届けたのだ。


「……ありがとな、

「わたし、一番最初に『おめでとう』って言いたかったから、良かった」

「忙しくて忘れてたけど……一番最初に言ってもらえて、嬉しいよ」

「本当!? 良かった!」




 名を呼び、静雄はに口付けた。軽く、触れるだけのキス。


「明日、いや、もう今日か。仕事休みになった」

「じゃ、じゃあ一緒にいられる?」

「あぁ。どっか行きたいとことかあるか?」

「……家で、静雄さんと二人でいたい」

「そんなのでいいのか?」

「最近、一緒にいなかったから。静雄さんと一緒にいれるだけで、いいの」

「……そうだな」


 久しぶりに感じるの温もりを確かめるかのように、静雄は抱き締めた。


「今日、一緒に寝てもいい?」

「お、お前……!」

「ち、違うよ!? そ、そういう意味じゃ……」

「そっか……」


 落ち込む静雄に、は慌てた。言葉にするのは恥ずかしいが、別に嫌では無いのだ。寧ろ、嬉しいぐらいで。ただ、どうしても恥ずかしさが勝ってしまう。


「あ、あ、で、でも……別に……いいかな、って言うか……その……」

「ん?」

「……わかってるくせに、ずるい」

「大人はずるいもんなんだよ」


 静雄はを抱き上げた。顔を真っ赤にして静雄を見るに、口元が綻ぶ。


「今日はずっと一緒にいような」

「今日だけじゃないよ、これからも、ずっと一緒にいるよ」


 でも、とは言葉を続けた。静雄の肩に手を置いていたは、その手を彼の頬に添える。鼻先が掠るぐらいのところまで顔を近づけて、笑顔を浮かべた。


「でも、今日は特別。今日は、静雄さんの誕生日だから」


 触れるだけのキス。の唇が触れたとき、震えているのがわかった。


「わ、わたし、上手くないね」

「だからなんだよ。俺は嬉しいんだから、もっとしてくれてもいいけど?」

「ば、ばか!」


 照れ隠しか、は静雄の首元に抱きついた。微かに震えている身体を抱き締め、ぽんぽんと背中をたたいてやる。


「……静雄さん」

「何だ?」

「お誕生日、おめでとう」


 ――あなたに出会えて、本当に良かった。






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