「あー、また喧嘩したの!?」


 後ろから聴こえて来たその声に、静雄は銜えていた煙草を地面に落とした。動揺している静雄を余所に、カツンカツンとヒールを鳴らしながら、その人物は静雄へと近づいて行く。その足取りはしっかりしていて、後ろにいる人物が近づく度に静雄の緊張は高まっていった。
 ――ピタリと音が止む。静雄は気配でわかった。あぁ、後ろに立っていると。
 おそるおそる首を後ろに向ける。ギギギ、と言う鈍い音がとても似合う程、ゆっくり。そして、視界に入ってきた姿に静雄はこの場から逃げ出したくなった。


「ね、姉ちゃん…」

「姉ちゃん、じゃないでしょ!」


 ここで言っておくと、静雄は数々の異名を持ち、恐れられている存在だ。自動販売機などを軽々持ち上げては投げ、標識をこれでもかと振り回す。
 そんな静雄に、姉ちゃんと呼ばれた女性は手を振り上げて静雄の頭を叩いた。もし周りに人がいれば、愕然とするだろう。あの静雄の頭を、女性が叩いたのだから。


「いって!」

「叩いた私の手のほうが痛いよ! 馬鹿!」

「なら叩くなよ!」

「叩かないと気が済まなかったの!」


 手をさするこの女性は、。静雄の従姉にあたる。
 幼い頃から静雄と付き合いがあり、大人になった今もたまに会って食事をする仲で、静雄の好きな人でもある。しかし、彼女は気付いていない。


「今日は仕事早く終わったし、シズ君にご飯作ってあげようって思って来たら…はぁ…」

「シズ君って言うな。って、飯? 作ってくれんの?」

「そのための材料も買ったのに、シズ君は喧嘩してるし…」

「俺は悪くないぜ。悪いのは俺に喧嘩を売ってきたあいつらだ。っていうか、シズ君って言うな」

「喧嘩を売ってきたあいつらって誰。誰が静雄君に喧嘩売ってきたの」

「…誰だっけ。あれ、忘れた。っていうか、シズ君って」

「言ってないよ。静雄君って言ったよ」


 の言葉に薄らと頬を赤く染める静雄。『シズ君』と言うのは、幼い頃からの呼び名。あまり気にはしていなかったのだが、が静雄の好きな人となってからはそう呼ばれるのが嫌になった。


 ――俺だって、男なんだ。従弟としてじゃなくて、一人の男として接してほしい。


「ほら、早く静雄君の家に行こ? 怪我の手当てもしないといけないし、それにお腹空いた」

「んー」


 こうして仕事帰りに寄って夕食を作ってくれるのは有り難い。疲れていると、どうしても外食で済ませてしまうことが多いのだ。静雄の場合は、主にファーストフードになるのだが。
 二人で並んで歩く。隣を歩くを見ると、材料がたくさん入った袋が目に入った。


「それ、持つよ」

「え? いいよ、重たいよ」

「だから俺が持つんだって。ほら」


 渋るから奪い取るかのように静雄は袋を手にした。些か強引だと思いつつも、静雄の不器用な優しさに微笑む。その笑みに照れたのか、静雄はふいっと顔を背けた。若干頬が赤く染まっているのは見間違いでは無いだろう。そういうところだけは幼い頃から変わっていないとは再び笑みを零した。
 他愛のない会話を交わしながら、ゆっくりと歩く。静雄の歩幅も自然と小さくなり、に合わせていた。




「――久しぶりに来たけど、結構片付いてるね」

「最近は夜遅いから、寝に帰るぐらいしかしてねぇしな」


 材料を袋から取り出しつつ、部屋を眺める。物は乱暴に置かれているが、かなり整頓されている。


「仕事、続いてるのはすごい嬉しいけど……夜遅いのは危ないから、気をつけてね」

「わーってるよ」

「最近は池袋も物騒だからね。本当に気をつけてね」

「俺よりも、姉ちゃんこそ気をつけるべきだろ」


 その言葉に、は苦笑を浮かべた。確かにそうかと。
 既に調理に入っているため、からは静雄の姿が見えない。しかし、静雄が本気で心配しているのはわかっていた。


「……何で池袋に住まねぇんだよ」

「池袋に住みたいけど、職場が近くなるからって理由だけで引っ越すのもなぁって思ってね」


 静雄がを池袋に住むように言うのにはもちろん訳がある。
 は今、新宿に住んでいるのだ。新宿には、静雄が嫌っているあの人物――折原臨也がいる。何度かに接触を試みようとしている臨也の姿を目にしたことがあった。そのたびに追い払っていたが、静雄自身新宿をそう訪れることは無い。
 だからこそ、心配で堪らなかった。臨也の仕出かすことに、いつかが巻き込まれるのでは無いかと。


「職場が近くなるって理由だけで良いじゃねぇか。何が駄目なんだよ」

「住み慣れてるからさ、その理由だけじゃ離れがたいんだよね。職場とは少し距離があるだけで、不便だとは思ったことが無いから」

「でも、新宿は危ねぇ」

「それは池袋もでしょ? 最近、カラーギャング同士の抗争が激しいみたいじゃない。職場で池袋に住んでる人が言ってたよ」


 住み慣れた場所を離れるのは確かに難しいことだ。それでも、静雄はに池袋に来てほしいと切に願った。が新宿ではなく池袋でいてくれれば、静雄がを守ることが出来る。あの臨也からも――。


「じゃあ、他に理由があればいいのか?」

「まぁそうなるけど……どうしたの? 今日はいつもよりくいついてくるね」


 上司である田中トムに忠告されたからだ。
 それは、今日の仕事中の出来事。ちょうど二人でウェディング関係の店の前を通ったときのことだ。


「俺らも結婚しててもおかしくねぇ歳なんだよなぁ」

「そうっすね」

「……静雄、お前取られるかもしんねぇべ?」

「何をっすか?」

「従姉」


 トムの言葉に、静雄は固まった。が結婚すると言うことを考えたことが無かったからだ。しかし、も良い年頃の女性。いつかは結婚して家庭を持つことになるだろう。
 顔が青ざめていく静雄に、トムはぽんっと肩に手を置いた。


「4歳離れてるんだっけか? もう良い年頃の女性じゃねぇかよ」

「……そうっすね」

「善は急げ、だ。応援してやっから、頑張れ。な?」


 ――急ぎ過ぎたかもしんねぇ。


 少しの異変に、はやはり気付いていた。普段も静雄は『池袋に引っ越せばいいのに』と言ってきたが、ここまで執拗に言ったことは無かった。トムに言われ、そちらの方に気を取られ過ぎていたかもしれないと静雄は反省をする。しかし、もう後には引けない。腹を括るしかないと静雄は拳を作る。


 ――理由なら、俺が作ってやる。


「静雄君?」

「……きだから」

「え?」

「姉ちゃんが、好きだから」

「私も静雄君のこと好きだよ」

「……そうじゃねぇよ」


 静雄の言葉に、は包丁を止め、後ろを振り向く。


「俺は、従姉としてじゃなくて、女として姉ちゃんが……が、好きなんだよ」


 目を丸くして驚くの様子を見て、静雄は唇を噛み締めた。言ってやった。あぁ、言ってやった。静雄の中で、様々な感情がぐるぐると回る。
 言って良かった。いや、言うべきじゃなかった。でも、すっきりした。
 それでも、から視線を外すことは無かった。


「え、じゃ、じゃあ、池袋に誘ってたのも」

「今頃気づいたのかよ……」

「当たり前でしょ!? し、知らなかったんだから……もっと早く言ってくれれば良かったのに」

「あー……それは、その……」

「でも、これで決心ついたよ。ありがとう」

「決心って、何の」

「池袋に住む決心」


 にこりと微笑むに、今度は静雄が目を丸くして驚いた。


「じゃあ、池袋に住むのか!?」

「本当はもっと早くに池袋で住む予定だったんだけど、何て言うか……片想いで住みたくないと言うか……」

「よくわかんねぇんだけど……」

「だから! 静雄君が好きだから、池袋に住もうって思ってたの。そうすれば、いつでも会えるでしょ? 今よりもたくさん会えるでしょ? でも、迷惑かもしれないって…あぁもう! 恥ずかしいことばっか言わせないでよ!」

「え……それ、本当か?」


 が顔を赤らめるなどあっただろうかと思うほど、は顔を赤くしていた。


 ――落ち着け。ってことはだ、姉ちゃんは、いや、は、俺のこと好きだって思ってくれてたってことで……それで、それで――。


「やべぇ、マジで嬉しいかも」


 にやけそうになる口元を手で隠し、顔を背ける。ばくばくと激しく鳴り続ける心臓。
 二人の間に沈黙が流れる。長い長い沈黙。それを破ったのは静雄ではなくだった。


「……あのさ、静雄君」

「……ん?」

「その、一緒に、住みたいな。……なんて」




 ――その次の週、一台の引っ越しトラックが静雄のマンションの前に止まった。


「何か、いつもと違う感じがする。遊びに来てるわけじゃないからかな」

「そりゃそうだろ。今日からここがの家だからな」

「そうだね、静雄君と私の家だね」


 の言葉に静雄は嬉しそうに顔を綻ばせた。







いずき様へ捧げます!
と言うわけで、年上ヒロインで書いてみました。
日常でいちゃいちゃ……うう、日常なのは日常ですが、いちゃいちゃしてないような……。
いずき様、素晴らしい小説ありがとうございました!お礼と言ってはなんですが、よろしければこちらの小説をお持ち帰りください。
本当にありがとうございました!







戻る