小さな寝息が静かな部屋に響く。艶やかな黒髪を撫でると、くすぐったそうに身を捩った。
 子供が生まれて五年が経った。たった五年でここまで成長するのかと思うほど、我が子はすくすくと育った。この黒髪はきっと父親に似たのだろう。目も父親に似てきたような気がする。


 ――まるで、小さな臨也さんみたい。


「……今、ママが考えてる事当ててあげようか」

「あれ、寝てたんじゃなかったの?」


 の太股の上に頭を乗せていた我が子は、眠っているとばかり思っていた為、少しだけ驚いた。この辺りは少しだけ臨也と似ているなと口元を綻ばせる。


「僕が大人になっても、ずっと一緒にいてくれる?」

「ずっと一緒って?」

「その言葉の通りだよ。ずっと一緒にいるの」

「パパと私と三人で一緒にいるって事かな?」

「何言ってるの? ママと僕の二人だよ」

「へぇ……この俺からを奪うつもりなんだ」


 愛しい母との会話に割り込むように入って来た父親、臨也に鋭い視線を送る息子。そんな息子に対して笑みを向けているが、目が笑っていない臨也。
 子供が言葉を理解し始めた頃からだった。小さな事で臨也と息子が喧嘩をするようになった。うまく話せないなりにも必死に臨也に噛み付く我が子の姿は今でも覚えている。そしてそんな幼い我が子に真剣に言い返す臨也の姿も。あのときは笑ってみていたが、今思うと早いうちに止めておくべきだったかもしれない。は密かにため息をついた。


「あぁ! 駄目だよ、近づかないでよ! 離れてよ!」

「うるさいよ。別にの隣に座るぐらい構わないだろ? は俺の奥さんなんだからさ、ねぇ? 


 の腰に腕を回し、頬に口付ける。その一連の流れを見ていた息子は臨也の胸板あたりに飛び込んで何度も何度も叩く。


「離れてってば!」

「ハハハッ、痛くもかゆくもないよ?」

「臨也さん、こんな小さい子相手に本気にならなくても……」

「わかってないなぁ。……本気でかかって来るからこそ、本気で相手してあげないと可哀想だと思わない? 俺はね、相手には最大の敬意を払ってやりたいんだ」


 ――だからって息子相手に本気にならなくても……。


 この二人のやりとりは毎日最低一回は行われる。臨也に本気で立ち向かう息子と、その息子相手にからかいながらも本気で相手をする臨也。一見仲が悪いのかと思われるが、実は本当はとても仲が良い。それを二人は認めたくないようだが、からすれば十分仲が良く見える。


 ――この前、一緒にお昼寝してる姿見ちゃったもんね。


 買い物から帰ってくると、疲れ切った臨也がソファーで眠っていた。その臨也の上には、小さな手で彼の服を握って眠る息子の姿。もちろん、臨也は上から落ちないようにとしっかりと息子を抱き締めていた。


 ――そう言えば、寝顔とかそっくりだったなぁ。親子なんだなぁって実感したよ。


「ねぇママ。僕とパパ、どっちが好き? 僕だよね?」

「二人とも大好きだよ」

「でも愛してるのは俺だけだよね?」

「二人とも愛してますよ」


 どちらかが好きで、どちらかを愛しているなど、の中ではありえない。臨也も、そして腹を痛めて生んだ我が子も、当然好きだ。愛している。だが、この二人はどうしてもその答えを認めたくないらしい。どちらが好きなのか、どちらを愛しているのか、絶対に答えてほしいと迫って来る。


「僕だよね?」

「違うってば。俺だよ」

「……さーて、ご飯の用意でもしてこようかな」

「逃げるのは許さないよ、

「わっ」


 ソファーに押し倒される。お互いの吐息がわかる距離しか開いていないため、怒って臨也を叩いている息子が今どのような表情をしているのか確認する事が出来ない。


「さ、言ってよ。……俺を、愛してるって」

「あの、臨也さん」

「言って」

「ずるい! ママ、僕も言って!」

「ちょっと、君は割り込んでこないでよ。今いいところなんだから」

「……あの、もう、いい加減にしてほしいんですけど……」


 ――夕食の準備もしないといけないのになぁ。


 そこで思い出した。夕食の準備をしなくてはいけないのだが、肝心の夕食のメニューが決まっていない。
 を押し倒したまま、息子と舌戦を繰り広げている臨也から視線を逸らし、赤く染まる空が見える窓の方を見る。何にしようか。今日は何が食べたいのだろうか。そんな事を考えていると、心中で呟いたつもりがどうやら現実で口にしていたようだ。


「何にしようかな……」

「何って……今日のご飯?」


 その呟きに反応したのは、臨也と比べると少ないボキャブラリーだが、一般の五歳児と比べると豊富なボキャブラリーで舌戦を繰り広げていた息子が反応した。


「うん、何食べたい?」

「俺は鍋がいいなぁ。しゃぶしゃぶとか」

「あ、僕もお鍋がいい!」

「じゃあ、しゃぶしゃぶでいい?」


 こういうところは意気投合するのかとつい吹き出してしまう。


「ねぇ、僕も手伝うよ」

「……俺も手伝う」

「え、あの、キッチンに三人立つとちょっと……」


 狭い、とは言えない。二人ともの夕食の準備を手伝う気満々でキッチンへと向かっている。その二人に遅れを取りつつも、もキッチンへと向かう。


「足手まといにはならないでね」

「それ、僕の台詞だよパパ」


 たまに、いや、頻繁にあの二人の口論があったが、何とか夕食は完成した。気分が良いのか、臨也の膝の上で夕食を取る息子の姿がとても微笑ましく思えた。臨也も悪い気はしないようで、膝の上に座る我が子の様子を窺いつつ箸を進めていた。そんな光景を見ていると、やはり二人は本当に仲が良いと思ってしまう。少しだけ、羨ましい。
 片付けももちろん二人は手伝った。身長が低いため、届かないところは文句を言いつつも臨也が抱えて補助をした。


「そういえば、明日って休みだよね」

「あ、そうですね。休日ですね」

「俺も仕事は入ってないし……三人で、どっか行こうか」

「え!? どこ行くの!?」

「仕方ないから君が行きたいところに連れて行ってあげるよ」


 臨也が頭を撫でると、嬉しそうに喜んだ。
 三人で出掛けるのは久しぶりだった。最近は臨也の仕事と幼稚園の休みが合わない為、三人で出掛けると言う事が出来なかったからだ。


「お弁当とか作りましょうか」

「だったら、ちょっと遠出するのもいいかもね」

「遠いところでお弁当食べれるところ……ってどこだろ」

「ピックアップしてあげるから、そこから選ぶといいよ」


 二人はパソコンが置いてあるデスクへと向かった。


「……明日は早起きしないとなぁ」


 低血圧のため、朝は弱い。でも、とても楽しみだった。


「あ、ここがいい」

「……あのねぇ、ここをよく見てみなよ。沖縄って書いてるだろ。『ちょっと遠出するのもいいかも』とは言ったけど、これだとちょっとどころじゃないから」


 ――それだと旅行になるね。


 二人からは見えないところでくすりと笑う。


「よし、私は明日のお弁当の準備でもするかな!」


 明日の行き先は二人に任せよう――。は、先程まで騒がしかったキッチンで明日の弁当の準備を始めた。昔、遠足の前日にとてもわくわくして準備をしていたときのような感覚が、今の中にあった。
 そして、翌日。三人は朝から出掛けた。臨也との間には、二人の子供の姿。仲良く手を繋いでいる三人の姿は、とても幸せそうだった。







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