誰にも気づかれないように扉を開ける。今のこの状況では、微かな音すら命取りになると言っても過言ではない。
 僅かに開いた扉から見えるのは、上下に分かれた二枚の黒板。そして、その黒板に書かれていることをノートに書き写したり、教授の話を真剣に聴く生徒達の姿。そう、今は講義中なのだ。
 辺りを見渡すと、伊作が探していた生徒の背中が見える。そのまま視線を少し横にずらすと、誰も座っていない。当たり前だ、彼女の隣は伊作が常にキープしているのだから。
 それを確認した伊作はその席まで教授に見つからないように進んで行く。もちろん、足音を立てないように。


「…重役出勤か、伊作」


 突如頭の上から話しかけられた。驚き、声が出そうになるのを抑え、聞こえてきた方向を向くとそこに居たのは食満だった。


「なんだ、留三郎か…」

「なんだ、って何だよ。ったく、遅れるなら遅れるで連絡入れろ。出席カードぐらいなら取っておいてやったのに」

「連絡しようと思ったんだけど、充電が…。朝から不運だよ、まったく。時計が壊れて寝坊だなんて」

「…だからあの時計は電池入れ替えるだけじゃ直らないって言っただろ。帰りには新しいの買えよ?でないとまた講義に寝坊するぞ」

「そ、そうします…」


 それじゃ、と伊作は再び席へと向かった。
 まだ使えると思って使用していた時計は、今日の朝には秒針が進むべき方向とはまったく逆の方向に進んでいた。数日前から様子がおかしかったため、食満に見てもらったのだが解決はしなかった。その時には既に新しいのを買え、と言われていたのだがすっかり忘れ、電池を入れ替えることで一時的にでも動いた時計に安心した自分を戒めたくなる、と心中で呟く。
 こそこそと移動し、ようやく席に辿り着いた。あたかも最初からそこに居たかのように座る。ちらりと横を見ると、真剣に話を聴いているの姿があった。とんとん、と肩を叩く。


「え、あ、伊作くん!?」


 いつ来たの?と驚くの姿に何故だか嬉しくなる伊作。どっきりが成功したような感じがしたのだろう。


「驚かせてごめんね。時計がさ…壊れちゃって…連絡入れようって思ったら携帯の充電すら切れてるし」

「うーん…何て言うか、もの凄く伊作くんらしいね。あ、そうだ!これ貰っておいたよ。よかった、貰っておいて」


 はい、と渡されたのは出席カード。講義が終わったあとにを書いて提出すればその講義は出席したことになるのだ。
 この講義はもう欠席扱いになるだろうと思っていた伊作にすると、の優しさがありがたかった。


「ノートも取っておいたし、また貸すね」

「ありがとう…!あ、そうだ、お礼に何か奢るよ!」

「え!?気にしなくても…。あ、じゃあ一緒に帰ろ?こうして会うのも久しぶりだし…」

「それだけでいいの?今日のお昼代とか出すよ?」

「ううん、いいの」


 は一緒に帰るだけで良いと言う。
 何かを奢ろうと思っていたため拍子抜けしたのは事実だが、それよりもと一緒に居れる時間を作れたことに喜びを感じていた。


「一緒に帰るの本当に久しぶりだね、伊作くん」


 嬉しそうに微笑むにつられて伊作も微笑んだ。











 今日の講義が終わり、伊作とは約束通り一緒に帰っていた。
 こうして二人で並んで歩くのはいつぶりだろうかと思う。テスト期間やレポート提出に追われ、時間が合わず、一緒に帰ることや出かけることが出来なかったのだ。


「あ、伊作くん!」

「え?あ、どうかした?」

「ちょっと待っててね。すぐに戻ってくるから!」


 そう言っては店の中に入って行った。店員と何か話し、お金を渡して箱を受け取り、言葉の通りすぐに伊作の元へ戻ってきた。
 そして、受け取った箱を伊作に渡す。


「えーっと…僕、まだ誕生日じゃないよ?」

「ううん、そういうのじゃないの。何て言えばいいのかな…。これからの伊作くんに必要になるもの、って言えばいいのかな?とりあえず、開けてみて!」


促され、伊作は箱を開けた。すると、中にはシンプルな時計が入っている。


「もしかして、目覚まし時計?」

「うん、朝に壊れたって話してたのをこのお店の前を通ったときに思いだして。
 ちょっとした衝撃じゃ壊れない目覚まし時計ありませんかって聞いたら、これを渡してくれたの。」

「わぁ…あ、ありがとう!留三郎にも早く買えって言われてたんだ。大切にするよ、本当にありがとう」

「それで寝坊せずに起きてね?隣に伊作くんがいないと、私も寂しいし…」


 今日も少し寂しかったかな、と顔を赤らめて俯く。寂しいと思ってくれるがとても愛しいと感じた。
 伊作はの左手を取って自分の指を絡めた。


「大丈夫だよ。明日からは寝坊しないよ!」

「明日は休みだよ、伊作くん」

「あ…」




 そうか、明日は休みなのか――。




 の言葉で寝坊しないようにすることに頭がいっぱいになっていた伊作。明日が休みだと言うことをすっかり忘れていた。


「じゃあ、今日久々に泊まりに来ない?今までテスト期間とかで一緒に居なかった分、と一緒に居たいんだけど…」

 明日は休み。ならば、一緒に居ることが出来なかった分一緒に居たい。それが伊作の願いだった。
 すると、繋がれている手が前に引っ張られる。が前に進んだのだ。


「晩ご飯、何食べたい?」

「んー、今日は二人で作ろうか。何食べるかは食材買うときにでも決めようよ」




楽しい休日になりそうだな――。




 伊作はと手を繋いでいないほうの手で持っている箱を見た。




「君の出番はまだだね」




 二人で過ごす日の朝は、の声で起きたいんだ。










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