――暑い。
目的地でもある臨也のマンションまであと少し。それでも、この暑さではその感覚も狂わされる。あと少しとわかっていても、とても長く感じた。は目を細めて空を見上げる。空には雲一つなく、青一色だ。さんさんと輝く太陽の光は、まだ夏を感じさせる程。
――暦上では立秋を迎えたって言うのに……秋らしさなんてどこにもないよ。
おかげでの夏バテはまだ続いている。水分ばかり摂取してしまい、食欲があまり無い。一緒に住んでいる静雄に何度も『病院へ行け』とすすめられたが、結局行かず仕舞い。
「今頃、臨也さんは涼しい部屋で快適に過ごしてるんだろうなぁ。……あれ、何で私一人こんな暑い中歩いてるの……」
鞄から水筒を取り出し、小さなカップに残っているお茶を全て注ぐ。少しだけ口に含むと、その冷たさにはきゅっと目を瞑った。の中の熱が少しだけ冷めたような気がした。カップから水気を取り、元に戻す。水筒を振ると、中からからんからん、と氷の音がした。もう中身は無い。だが、氷は残っている。食べてしまおうか――。
少しだけ考えたあと、はもう一度カップを手に取り、その中に氷を入れた。もう小さくなってしまっているが、それを口に運ぶ。
「んっ……冷たっ」
味はほとんど無いが、氷の持っている冷たさが心地良い。口の中で転ばせる。
「こうやって水筒の中の氷を食べるのって、夏の醍醐味だよね……。この心地良さは夏にしか味わえないよ」
「そうだね、暦上ではもう秋だけど」
「あ、そうでした、ね……って」
後ろから聞こえた声に振り向くと、そこには薄い黒のシャツを着た臨也が立っていた。暑さを感じさせない涼しげな顔で、を見て笑っている。
「そういえばさっき、水筒の中の氷を食べて嬉しそうに笑ってる小学生を見かけたよ」
「……小学生と同じだって言いたいんですか?」
「おや、そう聞こえたのならこれはこれは失礼しました」
をからかう様に恭しく礼をして謝る臨也だが、まったく誠意が感じられない。
――わかってたけど、やっぱりムカつくなぁ……。
「ほら、そんな顔してないでさ。アイス、買ってきてあげたんだから機嫌なおしてよ」
「え、アイスですか?」
臨也の手にはコンビニの袋。その中にはアイスがいくつか入っていた。この暑い中、自分の為に買ってきてくれたのだろうか。はコンビニの袋から臨也の方へと視線を向ける。その視線に気付いた臨也はにこりと微笑んだ。
「もちろん、俺が食べるついでに買ってきてあげただけなんだけどね」
「……はぁ、まぁわかってましたけど」
淡い期待など抱くべきでは無かったとはため息をついた。
「嘘だって。暑い中来てくれるちゃんへのご褒美に決まってるだろ?」
「もういいですよ、どうせついでなんですよね、ついで」
「あれ。もしかして拗ねてるの? 可愛いねぇ、ちゃんは」
「拗ねてません!」
「そうだね、ちゃんはツンデレだからね。今はツンモードなだけだ。ツンツンデレツン デレツンツン」
楽しそうに歌いながら歩いて行く臨也の後ろを歩く。どこかで聴いた事のある曲だと思っていると、くらりと視界が揺れた。
――そういえば、今日何も食べてないかも。……食欲無かったし、水分ぐらいしか取ってないような。
きちんと食事は取るべきだと言う事は重々承知している。だが、どうしても胃が受け付けない。学校が始まるまでには病院に行かなければ――。いつ行こうか考えていると、臨也のマンションに着いたようだ。ふとエレベーターホールの中を見ると、ゆっくり歩いているに向かって手招きをしている臨也の姿があった。
その姿を見て、の中でこの問題は薄れてしまう。数分後、の夏バテがちょっとした騒ぎになるなど、思いもしていなかった。
「――ちゃん、コーヒー欲しいなぁ」
アイスを食べ終え、宿題をしているときだった。今日は波江がいないためか、臨也がコーヒーを入れて欲しいと頼んできた。普段は自分で淹れるか波江に頼んでいるのだが、自分で淹れる暇が無い程仕事が忙しいのだろう。先程からずっとキーボードの音が部屋に響いていた。
「わかりました」
――いつものでいいのかなぁ?
以前臨也に淹れ方を教えて貰った事がある。数回程度しか淹れた事は無いが、教えて貰ったときの事を思い出しながら慎重に淹れる。
――ブラックだっけ。ミルクとか砂糖とか入れたっけ……。
臨也に訊こうか迷ったが、仕事に集中している彼の邪魔はしたくない。とりあえずブラックにし、ミルクと砂糖をコーヒーカップの上に置く。
「……出来た」
小さなお盆の上に乗せ、臨也がいるデスクの所まで歩く。
そのときだった。またくらりと視界が揺れた。
――あれ……。
足元がふらつき、力が入らなくなる。
「……ちゃん?」
するりと手からお盆が落ち、床に落ちた。プラスチックのものが落ちる音と、食器が割れる音が同時に響く。
食器が割れてしまった。拾って、謝らないと――。そんな事を考えている内に、自分の身体が力を失っていく事に気付いた。床に吸い寄せられるように、は前に傾いて行く。
視界がぼやけていく。薄らとだが、臨也が駆け寄ってくる姿が入った来た。その表情は、いつもの臨也からは考えられない程慌てていた。
「!」
抱きとめられ、臨也に名前を呼ばれる。
「いざ、や、さ……ん?」
冷たい臨也の手がの額に当てられる。ひんやりとしてとても心地良い。が、と違って臨也はそれどころでは無かった。
熱っぽいのだ。の目もとろんとしており、全身の力が抜けているようで、全体重が臨也に掛かっている。
「しっかり。今ベッドに……」
臨也の声が段々遠くなっていく。それでも、何度か名前を呼ばれたような、そんな気がした。
――あれ、この匂い……。
目を開けると、臨也がいつも使用しているベッドで横になっている事に気付いた。
――臨也さんの、匂いだったんだ。
ふと首を少しだけ横に動かすと、安堵の息を漏らした臨也と目が合った。
「よかった、気がついたんだ!」
「臨也さん……」
「俺さ、柄にもなく本気で焦ったよ。いきなり倒れるからさ」
が倒れた後、臨也はどうすればいいか一瞬頭が真っ白になった。何事にも動じないのが臨也だが、が絡むとどうしても冷静ではいられなくなる自分がいる。今回もそうだった。いきなり倒れたは、意識を失って眠りについている。の額に置いた手は、の熱を吸収したのか、少し熱い。
「まず寝かせないと。あとは……何だっけ。熱があるから、冷やすんだよね? それで? その後は?」
どうすれば、は目を覚ますのだろうか。
「クハハッ……笑えないな、本当」
――ここまでうろたえる俺なんて、初めてだよ。
冷静になれば対処出来る事も、今は何も出来ない。
願うのは、が早く目を覚ます事。
ベッドに寝かせ、下から氷水とタオルを持ってくる。タオルを氷水につけ、絞っての額の上に乗せた。水分も補給したほうが良いのかと、口写しで水分も補給させた。その後は、ずっと椅子に座ったまま眠るを眺め続けた。いつ目を冷ますのか心配だったからだ。
「具合は?」
「えっと……もう大丈夫です」
刹那、ぐう、と腹の音が鳴る。そう言えば、今日は何も食べていない。鳴った音に頬を赤らめる。
「そういえば、最近夏バテだって言ってたけど……ちゃんとご飯は食べてた?」
「……食べてなかったです」
「はぁ……。って事は、その熱も夏バテから来たものだろうねぇ。待ってて、今ご飯作って来るよ」
「あ、あの、臨也さん」
「何?」
「あの……ごめんなさい」
「カップの事なら気にしてないから別にいいよ。いくらでもあるし。でも……」
でも? と不思議そうにしていると、の額に一つキスが落とされた。
「体調が悪い時はさ、ちゃんと言ってくれないと。ちゃんは、カップのように替えのきくモノじゃない」
本気で、心配した。このまま目を覚まさなかったら――。そんな事まで考えた。自分らしくも無いと臨也自身思う。それでも、心配せずにはいられなかった。
――ちゃんは俺にとって宝物のような存在で……俺の弱点でもあるんだ。
「ほら、寝てなよ」
「下にいたら駄目ですか……?」
「何で?」
「……ここで一人だと、寂しいから」
恥ずかしそうに目を逸らすに、臨也はこれは面白いと口元を歪めた。
「やっぱりちゃんはツンデレだねぇ。今はデレモードってところ?」
「う……も、もういいです、ここで大人しく寝てます……」
「嘘だよ、嘘。……ほら、おいで?」
「え?」
「俺が下のソファーまでちゃんを連れて行ってあげるよ」
両腕を広げる臨也の首元に、恥ずかしながらも腕を絡ませる。すぐにきゅっと臨也がを抱き締めた。の首元に臨也が顔を寄せているため、微かに彼の吐息を感じ、少しだけ身体が震えた。
「何、どうしたの?」
「何でもないですよ」
「ふーん……?」
気付いている癖に、とは臨也の見えないところで頬を膨らませた。
――でも、そんなところも、好き。
「じゃ、行こうか」
「重たくないですか……?」
「伊達にシズちゃんと追いかけっこしてないよ? これでも体力はあるからさ」
ふわりと身体が浮く。階段のところが少しだけ怖く感じ、臨也に抱きつく力を強めた。すると、臨也がを抱きしめる力も少しだけ強くなる。まるで、に応えるかのように。
「ツンモードのちゃんもいいけど、デレモードのちゃんもいいねぇ。ツンとデレの可愛さが違う。あぁ、どっちも可愛いけどね」
「……ツンとかデレとか、そういうのよくわからないですけど、臨也さんにしか、見せてないんですから」
「それは光栄だなぁ! それじゃあ俺以外に見せちゃ駄目だよ? ……君は、俺の大切な宝物なんだからさぁ」
失いたくない宝物だから、と臨也は強く強くを抱き締めた。
エリー様へ捧げます!
遅くなりましたが、臨也さんで『夏バテ夢主に臨也が素でオロオロしちゃう夢』と言うわけで……夢主に夏バテしてもらいました!
何か……ギャップ萌え! って感じですよね。普段慌てない人が慌てる姿とか見るときゅんってなります。そんな胸きゅんをしてもらいたいと頑張って書きましたが……どうでしょうかw
あまり本編でもアニメでも慌てる姿は無かったので、ほとんど私の中に臨也イメージで書いたんですが、皆様の中の臨也が崩れていなければ幸いです。
よろしければお持ち帰りくださいね。
リクエスト、ありがとうございました!
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